誰にとっても思い出深い…平成を代表する「100人の故人」を偲ぶ

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週刊現代 プロフィール

美しかった人

日本最高の歌姫、美空ひばりさんは'89年6月に亡くなった。昭和の終わりと平成の始まりを象徴する出来事として、記憶している人は多いだろう。

その美しき歌声には数多くの伝説がある。

「彼女は提供された曲にNOと言わなかった。それだけ自信があったのでしょう。歌唱力が半端ではなかった。

英語も譜面も読めないのに、海外の曲も完璧に歌いこなす。とにかく耳がよくて、聞いた曲をそのまま声にしてしまう、まさに天才としか言いようがない」(前出・馬飼野氏)

戦後という時代を背負ったシンボルであり、同時代を生きた私たちの思い出の中に生き続ける彼女はいつまでも美しい。

「すこし愛して、なが~く愛して」

サントリーレッドのCMで聞いた、あのハスキーボイスが頭から離れない。美しすぎた人。大原麗子さんは日本中の男性の憧れの的だった。

「あのCMは旦那さんを想う奥さんという設定ですが、美しいだけじゃない。ときに可愛らしく笑ってみせたり、ときに拗ねてみせたりする。本当に大原さんの魅力が凝縮されたCMでした」(前出・影山氏)

'84年、森進一と離婚し、会見で彼女はこう話した。

「女優の仕事を持っているということは、家に男が二人いたということだと思います」

優しさのなかに秘められた強さも大原さんの魅力の一つだった。

20代後半にギラン・バレー症候群を発症し、長い間病魔と闘い続けた。だが、「女優の仕事を辞めたいと思ったことは一度もないんですよ」と語っていた。願わくば、あの甘くせつない声をもう一度だけ聞きたい――。

田中好子さんはキャンディーズのメンバーとして、そして演技派女優として長く愛された。

単なる元アイドルではなく、33歳のときに映画『黒い雨』で日本アカデミー賞最優秀主演女優賞を獲得。演技派女優として、素質が開花した。

この作品で田中さんは広島で放射線を浴びた女性を熱演。お風呂場でごっそり抜けた髪の毛が絡みついた櫛を見て、裸のまま笑うシーンは圧巻だった。

40代以降は数多くの母親役を演じて、共演者からも愛された。だが、乳がんの転移によって入院。亡くなる直前に病床で、何か食べたいものややりたいことがないかと聞かれると彼女はこう言ったという。

「女優がやりたい」

いつも微笑みを返してくれる、ひまわりのような女優だった。

神秘的な美しい声の持ち主、ベテラン女優の岸田今日子さんには妖艶な存在感があった。

「出世作である映画『砂の女』では砂の世界に住む謎の女に扮し、けだるさとともに不思議なエロティックさを醸した演技が絶品でした」(映画評論家・樋口尚文氏)

 

美しかった人は女性だけではない。男性にも印象深い人はいる。岡田眞澄さん、細川俊之さんは、デビューした20~30代の頃は、西洋絵画のような美形で、年齢を重ねても甘い声でファンを魅了した。樋口氏は細川さんについてこう語る。

「忘れがたいのは、『パローレ、パローレ』のフレーズで有名なイタリアの大ヒット曲『あまい囁き』の日本語カバー。中村晃子とのデュエットが、艶っぽさと小粋さに溢れていた。

この曲はアラン・ドロンによるフランス語カバーが有名ですが、細川さんも勝るとも劣らぬムーディな出来でした」

尾崎豊さんも美しい声と魂の持ち主だった。

「俺は新しい第一歩のために、この命を賭ける。それが俺の生き方だ。笑いたいやつは笑え。俺を信じるやつはついて来い。俺は真実を求め、歩きつづけるお前らを愛している」

彼はライブのMCでファンにそう語りかけ、孤独や閉塞感をストレートな歌詞で歌い上げた。だが、26歳で早逝。'92年4月、東京・護国寺で行われた追悼式には3万人以上が列を作った。

また、頼近美津子さん、山口美江さん、小林麻央さん、有賀さつきさんといった女性キャスターも若くして亡くなった。