誰にとっても思い出深い…平成を代表する「100人の故人」を偲ぶ

さよなら、そしてありがとう…
週刊現代 プロフィール

立派だった人

平成の始めには、昭和の時代に経済大国・日本の礎を築いた名経営者たちが次々と鬼籍に入った。

経営コンサルタントの小宮一慶氏は、「彼らは皆、『自分の言葉』を持っていた」と語る。

松下幸之助さんは名言の多い人ですが、私が好きなのは『長所6割、短所4割』という言葉。良い面を生かし、短所である4割はほかの人がカバーすれば良いと。リーダーとして成功する人は、人の良い面をしっかりと見ることができる。

サントリーの佐治敬三さんは何と言っても『やってみなはれ』が有名ですが、あの会社には佐治さん亡き後も、チャレンジするスピリッツが脈々と受け継がれています」

Photo by GettyImages

スポーツとビジネス、両方の世界でトップクラスまで登りつめた「超人」が、ラグビーの宿澤広朗さんだ。早稲田大学ラグビー部で2連覇を果たし、住友銀行に入行。

最終的には専務執行役員まで出世した。また、本業のかたわらラグビー日本代表監督として'89年に強豪スコットランド相手に劇的な勝利を演出している。

「宿澤さんは『勝つための事前準備は一切妥協せずにすべてやる』と常々言っていました。本番でベストな結果を出すための準備を完璧に整える人だった。

『勝負師』という言葉がぴったりで、だからこそラグビーでも金融でもあれだけの結果を残せたのだと思います」(前出・二宮氏)

宿澤さんに限らず、立派な成果を残した人々は皆、準備に余念がなかった。

「世界のニナガワ」と呼ばれた演出家・蜷川幸雄さんも、最高の本番を追い求め、稽古には一瞬の気の緩みも許さない人だった。

熱量の足りない演技を見せられると灰皿を投げつけ怒鳴りつけるので恐れられたが、その妥協のない姿勢が、唐沢寿明や藤原竜也をはじめ一流の俳優たちを磨き上げた。
権力に屈しない気骨を見せつけ、尊敬を集めた人たちもいる。

『落日燃ゆ』など、多くの社会派作品を残した作家・城山三郎さんは、決して誰かにおもねることをしない人だった。

「戦前の歪んだ教育に惑わされ、海軍に少年兵として自ら志願した苦い経験を生涯忘れず、絶対に戦争はさせない、憲法を守るという主張を貫いた人でした。

名誉にも興味がなく、勲章の受け取りも固辞した。飾りに惑わされず、決して人を肩書で判断しない。魅力的でした」(前出・佐高氏)

 

今年の9月に亡くなったばかりの女優・樹木希林さんも、欲や執着のない人だった。

見栄や世間体にとらわれず、服は古着のリメイクで済ませ、化粧もしない。がんになって余命を知り、自ら身の回りの整理をして軽やかに逝った。あまりにも鮮やかな去り際は、見事と言うより他ない。

病気や怪我に負けることなく100歳を超える年齢まで長生きした人々も、掛け値なしに立派と言えるだろう。

双子のご長寿、きんさん・ぎんさんはその愛らしい雰囲気で一躍お茶の間のアイドルになった。

100歳を超えて得たテレビ出演料の使い道を問われ、2人揃って「老後の蓄えにします」と答えるユーモアのセンスも人気だった。

平成を代表するご長寿として、もう一人頭に浮かぶのが、聖路加国際病院の名誉院長だった日野原重明さんだろう。

「命の続く限り現場に立ち続ける」と公言し、100歳を超えても日本中を飛び回り、自分の言葉で語り続けた佇まいに、多くの人が励まされた。

立派な人の生き方をそっくり真似することは難しい。だが、同時代に彼らの生き様を見られたことが、我々の心に勇気を与えてくれる。