誰にとっても思い出深い…平成を代表する「100人の故人」を偲ぶ

さよなら、そしてありがとう…
週刊現代 プロフィール

優しかった人 

いかにも真面目一徹なイメージの強かったアナウンサーの逸見政孝さんがバラエティ番組に出演したときのインパクトは大きかった。周囲から突っ込まれ、困ったような笑みを浮かべて頭をかく姿に、穏やかな人柄が滲んでいた。

そして、逸見さんは死の直前まで周囲への気配りを忘れない人でもあった。

「私が今、侵されている病気の名前、病名はがんです」

'93年の9月6日、異例の生中継での病名公表は、世間に大きな衝撃を与えたが、「病状を隠して関係者や世間に迷惑をかけたくない」という真摯な思いで開かれた会見だった。逸見さんはこのわずか3ヵ月後にこの世を去る。

俳優の川谷拓三さんも見ているこちらが幸せになるような笑い方をする人だった。『仁義なき戦い』を始めヤクザ映画に多く出演した名脇役だが、記憶に残るのはあのニカッとした笑顔だ。

実際、謙虚な人で、晩年はバラエティ番組に出演し、年下のダウンタウンらと楽しそうに談笑する姿が印象的だった。

「それでは、次週をご期待下さい。サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ……」

日曜の茶の間に響く、穏やかな語り口。テレビ朝日の日曜洋画劇場で長らく解説を務めた淀川長治さんは、どんなにつまらない映画でも、なんとかして褒めるところを見つけようとする人だった。

「あれは、人生の酸いも甘いも噛み分けた含蓄のある優しさでした。著書を読むと、人生でいろいろな痛みを経験していて、他者を傷つけたくないという覚悟が滲んでいます。心から映画を愛し、魅力を伝えたいという意思がみなぎっていた」(明治大学教授の齋藤孝氏)

 

プロレスラーのジャイアント馬場さんも、大らかな人柄で支持された。前出の二宮氏が、馬場さんにインタビューしたときのことを回想する。

「馬場さんはもともとプロ野球の巨人の投手でしたが、決して成績は悪くないのに、試合でなかなか使ってもらえなかった。そのことを尋ねても『自分は世渡り上手じゃないから使ってもらえなかったのかな』と朗らかに笑っていました。

宿命のライバルと比較されたアントニオ猪木さんについても『プロレスはプロレスだよ』の一言。プロレス同様懐の深い人でした」

歌手、忌野清志郎さんは、生涯にわたり歌で「反原発」や「反戦争」のメッセージを発信し続けたが、その根底にあったのも深い思いやりだった。

「昔、テレビの歌番組で、あるラジオ局に抗議するために清志郎さんが放送禁止用語満載の歌を歌ったことがあります。その番組のプロデューサーとは仲が良かったにもかかわらず、一切伝えずに強行した。

のちにプロデューサーは『もし、自分が知っていて止められなかったとなれば、クビが飛びかねない。伝えなかったのは清志郎さんの気遣いだった』と回想しています」(前出・馬飼野氏)

政治家はなにかと毀誉褒貶がある職業だが、人柄の良さそうな笑顔を持っていた人物として、小渕恵三元総理大臣を思い出す人は多いだろう。

派手さはないが、誰にでも頭を下げて教えを請う実直さで愛された。

「彼の首相時代、『小渕じゃなくてオブツ』だと批判したことがありました。その後、ある会合で向こうから寄ってきて『あなたのように批判してくれる方も必要だ』と笑顔で握手を求めてきた。驚いたし、懐の深さを感じました」(評論家の佐高信氏)

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小渕さんに加えて、もうひとり印象深い政治家として、佐高氏は野中広務さんの名前を挙げる。

「社会的弱者に対する眼差しは本当に温かかった。'01年、ハンセン病患者が国を相手取った訴訟で勝訴しましたが、その訴訟中も野中さんは原告側に協力して精力的に動いていた。生涯『差別』を憎み、闘った人生だった」

決して派手ではないけれど、強い優しさを胸に秘めた人たちがいた。