息子が人を殺しました…千件以上の「加害者家族」支援から見えたこと

日本の犯罪報道への大きな違和感
阿部 恭子 プロフィール

「加害者家族」は他人事ではない

外出する家族に「気を付けてね」と声掛けする際、想像するのは、家族が事件や事故に巻き込まれないこと、つまり被害者になることではないだろうか。

家族が加害者になることを想像できる人はそう多くはないかもしれない。その理由として、日本が犯罪の少ない国であり、被害者の方がメディアで取り上げられる機会が多いことから、加害者家族に対する当事者意識が生まれにくいことがあると考えている。

しかし、筆者がこれまでかかわってきた加害者家族の実情を見る限り、決して特殊な社会で生きてきた人々ではなく、むしろ、ごく普通のどこにでもある家庭から犯罪者が生まれているのである。

コロンバイン高校銃乱射事件の犯人の母親スー・クレボルトも「私は何を見落としたのか」と、貧困や暴力とは無縁だった家庭で育った息子による事件に、親として疑問を投げかけている。その答えは、ひとことで言い表されるものではない。

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私が出会ってきた多くの加害者家族も、事件の予兆に気がついていたというケースは少なく、ほとんどの家族にとって事件は寝耳に水の出来事なのだ。

家族だからわかることもあれば、家族ゆえに見えないこともある。自ら加害行為を起こさないように注意することはできたとしても、家族の加害行為を阻止することなど不可能である。

被害者がいるということは、必ず加害者がいる。そして、加害者も人の子であり、人の親であることもあり得るのだ。

加害者家族とは、家族に属する限り、誰しも有するリスクである。そう考えるならば、加害者家族を糾弾し排除することと、支援すること、どちらが社会のあるべき姿か、見えてくるのではないだろうか。