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リーマンショックの裏で、危険な綱渡りに挑んだ証券ディーラーの運命

東京マネー戦記【1】2008年秋〜冬
森 将人 プロフィール

しかし、大口の投資家がオーダーをキャンセルすると伝えてきたときは、さすがの木村も覚悟したようだった。

「悔しいなあ。絶対に安いのになあ」

何度も繰り返してきたセリフだった。マーケットは極端な方向に触れようとしていた。しかし今までの経験則だけでは、今後の流れを見通すことなどできなかった。

 

「どうしましょうか?」

「どうするって、もうこれ以上進められんやろ。明日、先方に謝りに行ってくるわ。できると思っとったが、できんかった。事実はそれだけや」

「それでわかってくれればいいですけど……」

「無理やな。責任取らされるやろ」

「責任ですか?」

「何落ち込んどるんや。お前は関係ないで。俺が一人で怒られてくるから、気にすんな」

関係ありますよ。何かあったら、報告するようにいわれてましたから。そういいかけて、ぼくは口を閉ざした。木村を裏切ったわけではないが、支えにもなれなかった。傍観者でしかない自分には、木村に声をかける権利もないように思えた。

木村は「もう帰るわ」といいながら、いつまでたっても席を立とうとしなかった。何度も頭を掻いては、モニターを切り替えて過去の値動きを見直していた。

「俺は負けたとは思っとらん」

篠塚の動きは早かった。ディール中止が発表された翌日には、木村がチームヘッドから外れ、部長の篠塚が当面兼任することになった。

木村の席はあるが、何もすることがない。気まずかったのは、ぼくには何の処分もないことだった。

ぼくは説明の機会を持とうとしたが、マーケットが動きはじめて時間が作れなかった。ようやくゆっくり話すことができたのは、木村の異動が発表された日のことだった。挨拶に向かったぼくを、突き放すような表情は昔のままだった。

「何しんみりした顔しとるんや。ディーラーがそんな顔してたら、ツキが逃げていくわ」

「木村さん、ぼくあのディールのこと……」

「俺は負けたとは思っとらんのに、勝手に終わらせんでくれ。あれは誰が何といおうと俺のディールや。勝ったら儲けはひとり占めやで。すまんがお前は、自分のディールを探してくれ」

自信にあふれた木村の表情を見ていると、ぼくまで笑いたくなってくるのが不思議だった。そうだった。この笑顔が見たくて、ぼくはいつもディールを追いかけていたのだ。

「そんなん、いわれなくてもわかりますわ」

木村は「下手な大阪弁使うな」といってあきれた表情をすると、ぼくの頭を軽く叩いた。

(第1話 終)