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# 証券

リーマンショックの裏で、危険な綱渡りに挑んだ証券ディーラーの運命

東京マネー戦記【1】2008年秋〜冬

平成日本の激動がもっとも如実に表れたのは、金融・証券の世界である。バブル崩壊のみならず、阪神大震災、米同時多発テロ、ITバブル崩壊、リーマンショック、東日本大震災に原発事故…と、相次ぐ危機が市場を襲い続けた30年だった。

その激流に翻弄されながらも、懸命に「ディール」を掴もうとするサラリーマンたちがいた。場所は東京・大手町。日本の金融界の中枢が集まるこの街で、彼らは何を失い、そして何を得たのか? ある若き証券ディーラーの視点から描く、実録小説「東京マネー戦記」が幕を開ける。

第1話は、今からちょうど10年前、2008年に遡る。あの歴史に残る経済危機の中、巨額のマネーを虎視眈々と狙う敏腕ディーラーの運命は……。

(監修/町田哲也

 

すべてが崩壊した日に

それは見たことのない光景だった。

米国の大手投資銀行リーマン・ブラザーズの破綻を契機に、金融秩序が崩壊しようとしていた。保険大手AIGが国有化され、メリルリンチ証券が買収されるなど世界的な金融機関が次々と死を迎えてゆく。機能不全に陥ったマーケットに、誰もが不信の目を向けていた。

東京市場も例外ではなかった。株価指数は毎日1000円単位で乱高下し、債券市場で買いが入るのは、もっとも信用力の高い日本国債くらいのものだった。あらゆる投資家が、リスクをとることを回避していた。

とりわけ社債は、魅力ある投資対象から避けるべきリスクの塊に変わっていた。新たに資金を調達できる企業はごく一部に限られ、多くの会社はどれだけ利回りを払っても資金が集まらなかった。

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この頃ぼくはディーラーチームのなかで、事業会社の発行する社債を担当していた。混乱したマーケットに収益機会を見い出そうと躍起になっていたが、ほぼすべての社債が下落するような環境では手の打ちようがなかった。

数日後には部長から、ディーラーの保有在庫を減らすよう命令が出た。10億以上の売りに対して買い向かうには、部長に確認する必要があるという。会社も資金繰りに余裕がなくなっていた。

納得いかないのは、チームヘッドの木村悟志だった。木村はぼくより5歳年上で、気に入らないことがあると大阪弁で怒鳴りつけることがある。部長が替わって以来、何かとチーム内で意見の対立が目立つようになっていた。

「もうちょっと強気でええんやないか」

ぼくが投資家の売り引き合いにプライスを返そうとすると、木村が口を出すことがあった。

「あんまりいい値段を出して、売りたいっていわれても困りますよ」

「何で困るんや。こんだけ安いんやったら、儲かるで」

「篠塚部長の了承を取らないとまずいですよ」

「そんなもん、いるか。俺がええいうたら、ええんや」

ぼくが困った表情をすると、「まあ、最後は任せるけどな」といって自分の席に戻っていく。無理をいっているのは、自分でもわかっているようだった。

ぼくはリーマンショック後の混乱で、自由に取引できない苦しみがわかるだけに、木村に反発することができなかった。

木村は、何に対しても強気な人間ではない。儲からないと思えばすぐにあきらめるし、取引に執着するのも好きではない。しかし一番嫌いなのは、自分で判断もせずに勝負を避けることだった。ディーラー経験のない新部長の方針を、いつもバカにしていた。