鬱も詐欺も左遷も経験した金髪銀行員だった僕はこうして「変わった」

人は変われる
伊藤 羊一 プロフィール

会社に行けなくなって、家でドラクエをやっていた

完全にスタートから躓いた格好の伊藤青年。ついには、会社に行けなくなってしまう。

今でいう鬱病です。入行して4年目のこと。急にゲーッて、何もないのに吐くようになってしまったんです。

当然、誰にも相談できないから、エブリデイ悪化。当時は営業担当だったんで、取引先のトイレに2時間ぐらい立てこもって吐き続けたこともあった。常に胃腸が裏返っているような気持ち悪さで、何週間も会社を休むようになったんです」

今でこそメンタル管理の専門家を社内に置いている企業は少なくないが、1994年当時は「鬱病」という病さえ、広く知られてはいなかった。

伊藤青年はしばらく「引きこもり生活」を経験する。

「不思議なことに会社に行かなければ普通なんですよ。昼間から家で寝て過ごすと、夜には寝れなくなる。だから、ひたすらドラクエをやってました

鬱を克服したと思ったら、今度は「左遷」…

数週間休んだところで、今度は「クビになる」恐怖に苛まれたという。吐き気を催しながら再び、会社に通い始めた伊藤青年。

そのときに、思わぬプロジェクトを任された。

「バブル崩壊を受けてマンションの新規融資はストップしていたんですけど、あるデベロッパーさんが新たにマンションを建てるので、『ぜひ伊藤さんに担当してほしい』と名指しで頼んでくれたんです。

興銀の融資を取り付けて、マンションを建設して、その売却益で返済するという、よくある融資案件。でも、バブル崩壊の後遺症で、当時の銀行は全然貸さないわけです。だから、デベロッパーさんは誰にでも『あなただけが頼りだ』と言っていたんだと思う(笑)。

でも、僕は自分が指名されて嬉しかった。こんな自分が担当していいの?と。当時の上司も『オレを説得してくれたら、あらゆる手を使って会社全体を動かしてやる』と言ってくれた。周囲の同僚も助けてくれたおかげで、最終的に融資が通って、さらにそのマンションが即日完売したんです。

新規のマンション建設が激減していたから、潜在需要が溜まっていたんだと思う。マンション売り出しの前日から行列ができたもんだから、テレビのニュースにも取り上げられた。これが、鬱病を克服するきっかけになった」

この経験から、伊藤氏は「鬱病を治そうと頑張るのは難しい。けど、社会や人との繋がりを絶たないことで、改善するきっかけが掴めるかもしれない」と話す。

 

ただし、マンションディベロッパーへの融資を成功させたことで、すぐさま人生が好転したわけではかった。

「興銀はもともと高度経済成長を支えてきた銀行だったこともあって、おれらで日本経済をよくしよう!という気構えが非常に強かったんですよね。だから、僕も次第に影響されていって、一丁前に社会とその時の興銀に憤りを覚えるようになった。

それで、同僚15人ぐらいでカラオケに行ったときに、『このままでは興銀はよくならない! 一人ひとりの力は限られているから、みんなで頭取に〈辞めて、経営陣を一新せよ〉とメールを送ろう』となったんですよ。で、いざメールを送ってみたら、実行したのは僕一人だけだった(笑)。

もう、仲間に裏切られたことがショックでしたね。平気でみんな『いや、普通メールなんて書かないでしょ』とか言うし……。

実はマヌケなことに、当時の僕は左遷にも気づかなかったんですよ。メールを送って2週間後に異動が発表されて、本店の国際部門からある支店に移ったのに。それが1997年のこと。それから10年以上経ったあと、当時の上司から『伊藤君、大変だったね』と言われて、『何が?』と感じでした。聞いたら、『とりあえず、伊藤を頭取の近くに置いておくな』という話で、飛ばされたらしい。それを言われるまで、自分が左遷されたとは気づいていなかったんです」