日本人が知らない、この時期にフランスでイチョウが植えられる事情

暗い時代状況とある種の希望
伊達 聖伸 プロフィール

左の木と右の木、そして党派性を越えて

実は、かつての自由の木も、植えられたあとに切られてしまうことがあった。植えるのは革命派、引き抜くのは反革命派である。ロベール・デュマは、革命後のフランスには「左の木」と「右の木」があったと論じている。

ライシテの木は、基本的には「左の木」を受け継いでいる。だが、従来の左右の対立図式が機能しなくなっている現在、植える行為も引き抜く行為も、単純に左か右かで片付けることはできないのかもしれない。

革命後のフランスで「右の木」を代表する小説に、モーリス・バレスの『デラシネ』(1897年)がある。生まれた土地にどっしりと根を下ろした木は、与えられた環境から最良のものを引き出して、みずからの完成へと向かう。一方、本来の土地から引き抜かれて故郷を失った「デラシネ」たちは、衰弱の危機に見舞われる。

デラシネとは、「根こぎにされた」という意味である。バレスは、木について言われることを、人に対して用いたのである。「根なし草」と後ろ指をさされれば、肩身の狭い思いをする人もいるだろう。別の土地からの移住者を排斥する論理にもなりうる。

〔PHOTO〕gettyimages

このバレスの議論に、作家アンドレ・ジッドは反論を挑んでいる。異質なものや変化を嫌うのは、むしろ弱さの印である。新しい状況に適応する努力を通して、人は美徳を涵養することができる。

ジッドはまた、バレスは「デラシネ」の意味を歪曲していると批判する。そもそも木を植え替えるときには、根が乾いたりすることのないよう、人は細心の注意を払っているのだ。

もともとの環境からの「根こぎ」と新しい状況への「根づき」の努力。「根をもつことと外界の接触をふやすことは補いあう」というシモーヌ・ヴェイユの言葉が思い浮かぶ。

彼女はナチス占領下のフランスを離れた早世のユダヤ系哲学者だ。「根をもつこと、それはおそらく人間の魂のもっとも重要な要求である」(『根をもつこと』冨原眞弓訳)。

 

最後に、同じく第二次世界大戦中に書かれた、晩年のポール・ヴァレリーの作品『樹についての対話』にも触れておきたい。空へと向かって伸びていく木は、暗い地中に向かって根を伸ばしていく存在でもあり、それは愛に似ているという。

「どちらも、知覚できぬほどの芽から生まれて、大きくなり、強くなって、ひろがり、枝を張ってゆく。けれど、それは空のほうへと(あるいは幸福のほうへと)昇れば昇ってゆくだけ、〔……〕暗い実質のなかへと降りてゆかねばなりません」(清水徹訳)。

暗い時代状況とある種の希望。今の日本の状況にも通じるところがあるのではないか。冬へと向かう季節に、黄金色のイチョウの葉と黒い幹や枝ぶりを眺めていると、どこかそんな思いにも誘われる。