日本人が知らない、この時期にフランスでイチョウが植えられる事情

暗い時代状況とある種の希望
伊達 聖伸 プロフィール

現在のフランスでイチョウがライシテの木として植えられるとき、それが東洋由来の木であることが、どこまで意識されているのかは不明である。一方、イチョウは生命力の強い木だと言われるときには、日本で起きたある出来事がきまって引き合いに出される。

それは、広島への原爆投下である。2016年にフランスで発行された『若者向けのライシテ入門』には、イチョウは「1945年8月6日の日本のヒロシマの原爆を生き延びた唯一の木」と書かれている。

ABC de la laïcité pour les jeunes

たしかに、広島の報専坊、縮景園、安楽寺には被爆したイチョウの木がある。だが、アオギリ、エノキ、クスノキ、クロガネモチ、ケヤキ、ニワウルシ、プラタナス、ヤナギ、ユーカリなどの木も、原爆を生き延びている(大川悦生『ひろしま原爆の木たち』)。

長崎にも、カキ、クスノキ、カシなどの被爆樹木がある(唐沢孝一『語り継ぐ焼けイチョウ』、同『よみがえった黒こげのイチョウ』)。生存する被爆樹木は広島のイチョウだけではない、と言うべきかもしれない。

 

イチョウが被災しても生き残り、焼けても甦るのは、そもそも保水力の高い木だということがある。火事のときの延焼を防ぐため、日本では街路樹のほか、神社仏閣に定番の木として親しまれている。

しぐれつゝ留守もる神の銀杏かな 高浜虚子
本堂の屋根にちらかる銀杏かな 寺田寅彦
ほとけより神はおほらか公孫樹散る 茨木和生

日本だとしばしば神社仏閣の敷地に聳え立つ木が、フランスでは政教分離を象徴する木として、宗教を遠ざけるべき公立校の敷地などに植えられているわけである。

王家の木と民衆の木

ところで、ライシテの木として植えられているのは、イチョウだけではない。ボダイジュ(これも仏教にゆかりのある木だ)、コナラ、ブナ、サクラ、オリーヴなども植えられている。

いずれにしても、記念樹として木を植える行為は、フランス革命期、さらにはそれ以前に遡る民衆の祭りに起源を持っている。

哲学者のロベール・デュマは、「両義的な政治的シンボルとしての木」という論文で、時代や政治的立場によって木の象徴的な意味が変化してきたことを論じている。

封建時代の木は、家系図を一目でわかるようにする役割を果たしていた。家にはルーツとしての根があり、幹があり、枝分かれがある。家系図としての木は、世代を超えて流れる同じ家族の血を物象化した秩序である。

木は王政のシンボルとして、王朝の正統化にも、権力を簒奪(さんだつ)する理由にも用いられた。木は、さまざまな身分の人びとを王権のもとに包摂する様子を表現するのにも適していた。枝葉としての臣民が、王国という木に生かされているイメージである。

革命は、王が人びとを養う大きな一本の木のイメージを、森で離れ離れになった一本一本の木というイメージに変えた。家系よりも一人一人が誰であるかが重要になった。

革命派が作り出した祭りに「自由の木」の植樹がある。自由を希求する民衆による新たな人間の誕生を祝う儀礼だが、これは「五月の木」という古くからあった農民たちの異教的な樹木崇拝を換骨奪胎したものである。

5月は本格的な春の到来の季節である。村人たちは、月桂樹や花やリボンで飾り付けた木を植えて豊穣を祈願する。この伝統的なフォークロアに政治的な意味を持たせ、民衆が木を表象する力を手にした点に、自由の木の祭りの意義がある(モナ・オズーフ『革命祭典』、立川孝一「祖国の祭壇と自由の木」『思想』740号を参照)。

自由の木は、1830年の七月革命、1848年の二月革命、第二次世界大戦末期のパリ解放、1989年のフランス革命200周年の際などにも植えられている。

五月の木から自由の木へ、そしてライシテの木へ。最近「誕生」した植樹儀礼は、この系譜のなかに位置づけられるものだ。