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日本人が知らない、この時期にフランスでイチョウが植えられる事情

暗い時代状況とある種の希望

イチョウの葉が黄金色に輝く季節である。もうじき降りしきる落葉が地面を黄色の絨毯で覆い尽くす。黒く禿げた少し不格好な枝は冬の目印になる。異常気象の常態化で多少前後することはあっても、この時期に毎年繰り返される、たしかな自然の営みである。

ところで、近年のフランスでは、ちょうどこの時期にイチョウなどの木が植えられるようになっているのをご存じだろうか。

フランスは「ライシテ」と呼ばれる世俗主義の原理に立脚する共和国だ。政教分離を定めた1905年12月9日の法律は、非常に象徴的な意味を持っている。

この日付の重みが近年とみに増している。フランスはライシテの国であることが再確認され、12月9日はライシテの記念日に制定された。そしてこの日を中心に、フランス各地で植樹祭が行なわれているのである。

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なぜイチョウがライシテのシンボルなのか

この植樹祭の全貌を把握できる研究はまだないようだが、ジャーナリストのアンリ・ド・ベガールによれば、一番よく植えられているのはイチョウだという。

なぜイチョウなのか。別にこの時期に綺麗に色づくからという理由ではない。太古の昔から地上に生息し、抵抗力の強い木だからというのが一般的な説明であるようだ。

だが、何よりも興味深いのは、扇の形をしたイチョウの葉の中央の切れ込みが、公私の分離を表わしているという説明がなされていることである。政治と宗教の領域をきっぱりと分けるライシテの考えが、イチョウの葉に体現されているということのようだ。

イチョウの葉から政教分離を連想したことのある読者は、どのくらいいるだろうか。日本人の感覚とはずいぶん違うようである。もっとも、イチョウから即座にライシテを連想するフランス人の数も、そこまで多くはないはずである。

日本の晩秋の風物詩であるイチョウと、近年のフランスで「ライシテの木」として植えられているイチョウ。「フランスのライシテのルーツは日本にある」などと言おうものなら、トンデモ学者の仲間入りすること請け合いだが、「ライシテの木として植えられているイチョウのルーツは日本にある」という命題は、検討に値する。

 

イチョウの歴史――交錯するまなざし

イチョウがその姿を地球上に現わしたのは今から2億年前のこと。恐竜の時代である。その時代に起源を持つ動植物は現在ではほとんど絶滅しているから、稀有な生き残りである。

イチョウはもともと北半球全域に広く分布していたが、気候変動などで衰退してヒトが地上に登場する頃には絶滅寸前の状態だった。日本列島でも、500~600万年ほど前のイチョウが化石で確認できるが、いったん途絶えている。

イチョウがかろうじて生き残ったのは、中国の南西部においてである。もともと自生していたイチョウは、やがて人間社会と関係を結ぶようになる。そして今から1000~800年前頃までに、朝鮮半島や日本にも広まった。

イチョウを江戸時代の鎖国中の日本で「発見」した西洋人は、『日本誌』で知られるケンペルである。17世紀末に長崎の出島の商館に医師として勤務していた彼が、イチョウの種子を持ち帰り、18世紀のヨーロッパに広めたと言われている。

フランスには1780年にイギリス経由で入ってきた。アメリカ大陸に渡ったのは1785年である(ピーター・クレイン『イチョウ 奇跡の2億年史』、長田敏行『イチョウの自然誌と文化史』を参照)。

東洋からやって来たイチョウが、米仏の大地に根を下ろしたのは、両国で市民革命が起きた時期ということになる。