国境とは「面」だ! 西アフリカのおばさんたちが教えてくれたこと

東大教授にお題エッセイを頼んでみた
佐倉 統 プロフィール

だが、これが国境なのだろう。同一民族を引き裂くように人為的に設定され、何もなければ1分で通れるところを、「国家」が定めるところに従ってすべての手続きを終えるのに30分から1時間かかる境界線。いや、境界面。

食事と排泄のたびに便利に引かれる境界線

オートポイエーシスという考えかたがある。複雑なシステムが、〈自己〉と〈外界〉の境界を自分で創り上げていく能力、あるいはそういう特性のことである。

もともとは生物学者のフランシスコ・バレーラと、その師ウンベルト・マトゥラーナが、人間の脳は外界からの入力と脳内部で生じた信号との区別がつかないことから着想したものである。

こういうとややこしいかもしれないが、要は、現実の出来事と夢で起っていることの区別がつかない場合がある、ということだ。

オートポイエーシス的システムの典型が、生物だというのはよく言われるところだ。

たしかにぼくたちは、自分の身体の〈内部〉と〈外部〉の境目を、自分たちで決めている。お皿にのっている食べ物は〈外部〉だが、口の中に入った瞬間、〈内部〉になる。だけどクチャクチャと噛んでいる間は、まだ完全に〈自分〉には同化していない。ごっくんとのみ込んだら、感覚的にはもうお腹の中に入ってしまって、意識の範疇から消える。その食べ物はもう追跡できない。

生理学的には、その後、食道→胃→小腸と運ばれていって、徐々に消化吸収されて、血となり肉となる。まさに〈自分〉の一部になっていく。最後まで〈自分〉に取り込めなかったものたちは、トイレで排泄される(別に排泄の場所はどこでもいいのだが、通常はトイレだろう)。

排泄された、食物の残骸は、身体の〈外〉に出た瞬間、とても汚らしく不潔に感じられる。その直前まで〈体内〉にあって、そのときは全然きたないなんて思ってもいなかったのだけど。

大便が直腸にある時と、外の便器にある時とで、組成はほとんど変わっていない。外気に触れて多少変成が進みはするだろうが、出た瞬間は、ほぼまったく同じ物質だ。

なのに、この感じ方の違いは、なんなんだ?

いや、別にぼくは、大便がきれいだと言いたいわけではない。ぼくたちが感じている〈内〉と〈外〉の境界線は、自分たちが無意識に引いているということを言いたいのだ。

そしてこの感覚(内=きれい、外=汚い)には、おそらく進化的な合理性がある。

自分の選択で外部をつんつんする

体内にあるときは、排泄物はそれ専用の貯蔵場所(大便の場合は大腸)に保管されている。排泄物に含まれる大腸菌などのバクテリアは、腸の中にいるときは無害だ。

だが、それが血液中に入ったりすると、敗血症などの重篤な症状を引き起こすことがある(異所性感染という)。〈体外〉に排泄された大便を汚く感じて避けるのは、この異所性感染の危険性を下げる、適応的な心理的反応だと考えられる。

『Dr. スランプ』のアラレちゃんはウンチをつんつんするのが好きだけれど、衛生的にはあまりお薦めできる行動ではない。

アラレちゃん鳥山明『Dr.スランプ 1』(集英社文庫コミック版、1995年)p241より

境界線は、自分たちで決める。ギニアとリベリアの国境は、欧米列強諸国の都合によって、〈外〉から押しつけらたものだった。そのことによって生じるさまざまな不都合は、他の旧植民地でもよく見られる現象だろうと思う。

国家を自律したオートポイエティック・システムとみなすことはある程度可能だろうが、このように、いつでも境界線を自力で決められるわけではない。

むしろ、オートポイエティックなあり方──自分たちのことは自分たちで決める権限と能力をもっていて、必要に応じて外界(他国)とやりとりをする状態が、国家にとっての理想ということだろう(社会システムをオートポイエーシス理論を使って解釈しようとしたのはドイツの社会学者ニコラス・ルーマンだが、そっちに話が進むと厄介なので、ここでは触れない。パス1させてください)。