国境とは「面」だ! 西アフリカのおばさんたちが教えてくれたこと

東大教授にお題エッセイを頼んでみた
佐倉 統 プロフィール

国境が障害になる人、ならない人

ギニアとリベリアの国境は、19世紀にリベリアが建国されたときに決まったものである。

リベリアは、アメリカが黒人奴隷を「解放」し、1847年に「帰還」させて作った国だ。西アフリカ現地住民の都合などまったく無視。身勝手なことをするものだ。国名は「自由(liberty)」にちなむのだが、聞いて呆れる。

モンロビア リベリアの首都モンロビア(1950年撮影) Photo by Getty Images

その頃ギニアのあたりには、フタジャロン王国などの現地政権があったとされる。その後だいぶ経って1897年にフランスの植民地になる。

要するに、ギニアとリベリアの国境は、現地に住んでいる人たちの事情や生活とは、何の関係もない。だから、現地住民の分布と今の国境は、一致しない。

このあたりに住んでいるのはマノ (Mano) の人々で、ギニアにもリベリアにもコートディヴォアール(象牙海岸)にも分布している。その居住域を寸断するように、国境線が引かれているのだ。

だから、行商のおばさんたちは現地語──彼女らの母語を使って、ギニアでもリベリアでも不自由なく商売ができる。その意味では、国境は彼女らにとってはあまり大きな障害とはなっていないと言ってもいいのかもしれない。

だが、「外国人」であるぼくらにとって、この国境を越えることは限りなく大変な作業である。

パスポートを提示して、オフィシャルな許可をもらって、あれこれの手続きをした後に、ようやくゲートを開けてもらうことができ、国境を通過できる。

リベリア19世紀のリベリア周辺地図 Photo by Getty Images

国境は「面」だった

さらに、ギニア側の国境を越えても仕事は半分しかすんでいない。数十メートル先にまた別のゲートがあって、そこにはリベリア側の国境検査官が待っている。

国境とは線ではなく、面なのだということを、そのとき初めて体感した。そこでまた、同じような問答を最初から繰り返さなければならない。

ギニア側ではフランス語だったが、今度は英語である。少しは楽かと思ったら、とんでもない。リベリアの英語は語尾の子音がほとんど発音されないので、とてつもなくわかりにくい。

「パスポー見せろ」ぐらいはまだしも、「エーフィーに行くのか?」はしばらく分からなかった。「エアフィールド(空港)」である。

その他、ボイエー(ボイルドエッグ)、コーワー(コールドウォーター)、などという具合だから、これまた果てしなく時間がかかる。

とまあ、ギニア側国境を出国してリベリアで入国審査が終わるまで、たった数十メートルを越えるのに、なんとたくさんの手間と時間がかかることか。通過するころにはクタクタである。

ところがそこを、現地のおばちゃんたちはスタスタスタと、ものの1〜2分で通り過ぎてしまうのだ。愛想笑いなんか振りまきながら。

もう、怒るとか苛立つとかいうのをはるかに越えて、ぽかーんと口を開けるしかないのであるよ(厳密に言うと、彼女らがどういう理由でどういう手続きで国境を越えていたのか、確認は取れていない。ぼくの出国手続きをしている係官に聞いたのがここで書いている情報の源だが、その係官の証言がどの程度正確なものか、裏付けはない)。