「境界線」に生きる者が僕たちに教える「豊穣な世界」への行きかた

東大教授にお題エッセイを頼んでみた
水越 伸 プロフィール

「二次元の世界」にも高さがある

本来は縦横方向の面的な広がりしかないはずの二次元の世界に、ごくわずかながら高さがあり、点や線にも微細ながらも面積がある(あるいはあるということになっている)、という点である。

ユークリッド幾何学が想定する二次元の世界には、理論的には高さがない。一次元の世界の点や線には幅も面積もない。すなわち実体はないが数学的に、あるいは理念的に点や線、正方形などの図形が存在している。

しかし『フラットランド』では、二次元にごくわずかな高さや幅があるという設定になっている。二次元の住人は、わずかな高さがもたらす隙間を通して入ってくる光線の具合などで、他の図形の形や動きを識別できるというわけだ。

スケッチブックやタブレットに線や円を描いてみると、そこには痕跡が残る。痕跡があるということは、その線や図形に実体的な大きさや面積があることを意味する。しかし数学的思考では、それらは大きさも面積も持たない。

僕は大勢の人がいるシンポジウム会場で講演内容とは関係なしに図を描くことが多いのだが、そういうときは『フラットランド』を思い出しながら、線や図形をめぐる理念と実体の不思議な関係にしばし気を取られる。

図形を描く端からそこにいるかもしれない小人のような住人の声が聞こえてくる気がして、ニヤリとする。わずか一滴の水、点に見えるような水滴を顕微鏡で拡大して、そこにたくさんの微生物が動いているのを見たときのように。

僕は情報技術が科学的に発明され、工学的に開発され、それらが社会に姿を現したときに、どのようにして社会によって拒まれたり、開発者らが思いもつかなかったかたちに解釈され、流用されてきたかということを研究してきた。

無線技術がラジオになり、移動体通信技術がケータイやスマートフォンになる過程には、そうした科学技術と人間社会の複雑な相互作用があったのだ。

アボットはそうは思っていなかっただろうけれど、数学が社会に応用されたときに生じるこういう隙間みたいなもの、抽象的思考が現実世界に作用するときのズレのようなものは、それ自体が大きな意味を持っているのではないだろうか。

そんな観点から、ここでは「線」について考えてみたい。

「38度線」とは何だったのか

社会にはさまざまな線が存在する。

線は普通の人々にとってありふれたものだが、とくにそれを意識するのは幾何学の授業だろう。デザイナーが設計をする際には、図面の線に注意を払うにちがいない。しかしそれらの多くは、何度でも引いたり消したりすることが可能な、いわば仮定上、操作上の線だ。

しかし世の中には容易に引いたり消したりできない社会的、歴史的な線もある。その代表的な一つが朝鮮半島を横断する軍事境界線である。

非武装地帯(DMZ)朝鮮半島の非武装地帯(DMZ)に接して行き止まりとなった橋 Photo by Getty Images

朝鮮半島の軍事境界線とは、1953年に朝鮮戦争が休戦となってできた、朝鮮人民民主主義共和国(北朝鮮)と大韓民国(韓国)が実効支配する陸上地域を分割する線のことだ。2018年9月現在、休戦状態は続いているから、それは国境線ではなく境界線である。

軍事境界線と別に38度線といういい方があり、日本ではほぼ同様に使われることが多い。しかし、38度線というのは軍事境界線より古くからある言葉だ。

第二次世界大戦末期、日本の敗戦がほぼ確実となった時に、北緯38度線の北側をソ連軍、南側を米国軍が占領することでいったん話がついた。その際、緯線に沿ってまっすぐに(実際は地球に沿って弧を描いて)引かれたのが38度線である。

しかし1950年から3年間続いた朝鮮戦争によって38度線は意味がなくなった。そして3年の凄惨な戦闘状態が休戦を迎えたとき、結果として北緯38度近辺に軍事境界線が引かれることになったのである。