朝鮮半島における軍事境界線(MDL)を示す標識 Photo by Getty Images

「境界線」に生きる者が僕たちに教える「豊穣な世界」への行きかた

東大教授にお題エッセイを頼んでみた
2人の東大教授に3人の編集者が漢字3文字の「お題」でエッセイを依頼する連続企画、早くも第4回。お題に「境界線」を提示された水越伸教授は、自ら線を引きながら考えて──。

僕はものごとを考えるときによく図を描く。

以前はスケッチブックに鉛筆で書いていたが、最近はタブレットに電子ペンだ。最近の電子ペンはよくできているから、どちらも僕にとっては同じようなものになってきた。

(筆者の手元を撮影したもの)

いずれにしても何かを考えてから図にするのではなくて、なにかふと予感のようなものが降りてきたら手を動かしてみる。描きながら考えるのだ。

丸や線を何度も重ね描きしたり、モチーフになるかたちをあちこちに描き散らしたりするうちに、アイディアが浮かび上がってくる。

「次元が違う」者たちの物語

図を描きながら時々思い出すのは、高校生の頃に読んだアボットの『二次元の世界 平面の国の不思議な物語』だ(この訳書は絶版。新訳は『フラットランド たくさんの次元のものがたり』。以下『フラットランド』と呼ぶ)。

19世紀後半に書かれた、ユークリッド幾何学の基礎を説き語るような数学ファンタジー物語だ。

二次元の世界『二次元の世界』(1977年初版)

『フラットランド』には、二次元の世界(フラットランド)の住人というのが登場する。

正方形の主人公(なぜか男性)は自らの住む二次元の世界をいろいろと紹介してくれる。夢のなかで訪れた一次元の世界(点や線)の住人を哀れみ、ある日突然現れた三次元の世界の住人(球)に出遭って驚愕し、やがて四次元の世界を想像するまでになる。

しかし二次元の世界にいて三次元の世界があることを主張して異端視され、とんでもない目に遭ってしまう(ネタバレしないようこのくらいにしておく)。

あらめて読み直してみると19世紀後半の大衆社会、階級闘争、そして革命意識などを皮肉や批判を込めて描き出していて、ウィリアム・モリスの『ユートピアだより』などに通じる時代感覚と社会意識を感じる内容だ。

僕が『フラットランド』を読んでおもしろいと思うことが二つある。

一つは、次元の違う者たちがお互いをなかなか理解できない様子だ。正方形の主人公は、同じ二次元に住む自分より角の多い五角形、八角形、さらに円などには敬意を払う。一方、角の少ない二等辺三角形などは見下す。

しかし一次元の世界はより下等で、思考力がないものと蔑み、三次元については理解を超えたものとして最初は拒絶し、やがて畏怖する。

その様子は、国籍や人種、LGBTなどをめぐって問題が絶えない現代社会を映し出す鏡のようだ。著者アボットは数学の次元を語りながら、同時に異文化コミュニケーションのことも論じているように、僕には思われる。

しかし、より興味深いのは、もう一つの点だ。