英国の最新鋭戦艦を撃沈した攻撃機指揮官が遺した「意外な言葉」

77年前の今日 マレー沖海戦
神立 尚紀 プロフィール

両艦あわせて840名の英軍将兵が艦と運命をともに

マレー半島攻略作戦に備えて、仏印(現・ベトナム)サイゴン(現・ホーチミン)基地と近郊のツドーム基地などには、第二十二航空戦隊の美幌海軍航空隊(美幌空)の九六式陸上攻撃機(九六陸攻)36機と、元山海軍航空隊(元山空)の九六陸攻36機、ほか九六式艦上戦闘機12機、零戦27機などが配備されていたが、フィリピン空襲に参加予定の鹿屋空3個中隊、一式陸攻27機も急遽、ツドーム基地に派遣されることになり、壹岐さんもこれに加わった。第二十二航空戦隊の司令官は、戦艦「榛名」乗組の松永少尉の父・松永貞市少将である。

 

12月10日、敵艦隊がシンガポールを出港、北上中との情報に、宮内七三少佐の指揮する鹿屋空の一式陸攻26機は、全機魚雷を搭載して、午前8時14分、ツドーム基地を出撃。前後して、元山空25機(魚雷16機、爆弾9機。別に索敵機9機)、美幌空33機(魚雷8機、爆弾25機)の九六陸攻も、サイゴン、ツドーム両基地を発進した。

九六式陸上攻撃機の編隊を、僚機の銃座越しに見る

壹岐さんら鹿屋空は、イギリス艦隊をめざして、基地から600浬(約1110キロ)南下したが発見できず、やむなく反転。北上中に、元山空の索敵機(機長・帆足正音予備少尉)が敵艦隊を発見。敵位置を報じる暗号電報が機上で解読できなかったため、それに基づいて司令部から、各航空部隊に敵の位置を知らせる平文電報が打たれた。鹿屋空は午後1時にこれを受信、ただちに現場に急行した。壹岐さんは語る。

「高度3000メートル、断雲の合間に、水上機が飛んでいるのが見えました。戦艦には水上機を搭載していますから、それで私は、敵艦隊はこの下におると思って、指揮官・宮内少佐に合図したんです。宮内少佐も了解して、そこからすぐ降下を始めました」

午後1時48分、鹿屋空突撃開始。

「断雲を突っ切って、ぶつからないように第一中隊は直進、第二中隊は左10度、第三中隊は右10度に開いて降下、雲下に出たら敵艦隊が見えました。発見したときの距離は約10浬(かいり=約18.52キロ)でした。そして、雷撃順に、第一中隊、第二中隊、第三中隊が一本棒になって突っ込んでいったんです。

英艦隊は、3隻の直衛駆逐艦の後方約2000メートルに「プリンス・オブ・ウェールズ」、さらにその後方2500メートルに「レパルス」が続き、約20ノット(時速約37キロ)の速力で航行していた。

「敵艦隊を見つけたときの気持ちは、べつにどうとも思わないんですよ。いつもの雷撃訓練のときと全く同じで、ただうまく命中させることだけを考えていましたね」

鹿屋空は、第一中隊が「プリンス・オブ・ウェールズ」、第二中隊が「レパルス」をそれぞれ目標にし、壹岐さんの率いる第三中隊は撃ちもらした敵艦を狙う手はずになっていた。

敵の防禦砲火が猛烈に撃ち上げられ、弾着で海面に水煙が上がる。無数の曳痕弾が、オレンジ色の火の束となって眼前に飛んでくる。そのなかを低空でかいくぐって、第一中隊がまず雷撃を始める。「プリンス・オブ・ウェールズ」の艦尾に魚雷命中!大きな水柱が上がる。

「まるで日本海海戦の絵を見るようでした。水柱が上がるところなんて実際に見るのは初めてですから、ずいぶん高く上がるなあ、と思っていたら、もう一発。こんどは艦橋の後ろあたりに命中しました。それを見届け、『プリンス・オブ・ウェールズ』には2発命中したからもういいと判断して、私は、まだ無傷に見えた『レパルス』に向かいました」

「レパルス」は、いまだ速力も衰えず、右旋回しながら猛射を浴びせてきた。飛んでくる弾丸が全部、自分に向かってくるように見えた。壹岐さんは「レパルス」の左舷(ひだりげん)に狙いを定め、ぐんぐん高度を下げていった。

「雷撃高度は30メートル。敵艦に距離700メートルまで肉薄して、魚雷を投下しました。そして『レパルス』の左舷から、機銃を撃ちまくりながらいっぱいに左旋回して回避、全速で高度をとりました。『レパルス』の甲板上で、雨衣を着た兵隊が伏せているのが見えましたよ。そのうちに偵察員・前川保一飛曹が、『当りました!』と機内に響くような歓声を上げ、続いて『また当りました!』と大声を張り上げました。しかし次の瞬間、私の二番機が被弾、真赤な炎に包まれて『レパルス』の左舷正横(せいおう)300メートルの海面に墜ち、間もなく三番機が、その50メートルほど左に墜ちるのが見えました」

壹岐さんの中隊が攻撃を終え、敵防禦砲火の圏外まで上昇して編隊を組んだとき、「レパルス」が左舷後方から沈んでゆき、やがて大きな波紋を残して海中に消えた。

「その瞬間、機内は、搭乗員7人全員のバンザイの声に包まれました。操縦桿から手を放して『バンザイ!』です。機上で、不時着時用に積んであったワインを琺瑯(ほうろう)びきのコップに注いで、乾杯をしました」

ときに午後2時3分。鹿屋空の雷撃開始からわずか10数分後のことだった。「プリンス・オブ・ウェールズ」は、まだ微速で航行していたが、こちらも、退艦を肯じない司令長官・フィリップス大将を乗せたまま、午後2時50分に沈没。ここに、英国東洋艦隊の主力は完全に壊滅した。両艦あわせて840名の英軍将兵が艦と運命をともにした。

日本側の損害は、3機が撃墜され、21名が戦死。多数機が被弾し、壹岐さんのK-331号機の被弾も17発を数えた。壹岐さんの航空記録には、この日の飛行時間10時間45分とある。これだけ長時間を飛んでなお、乗機の燃料には余裕があったという。

「被害が意外に少なくて済んだのは、まず第一に、イギリス側の雷撃に対する研究が足りなかったんじゃないかと思います。防禦砲火が全部、上の方を向いていて、海面すれすれを飛ぶ雷撃機に有効な砲火がなかったわけですよ。あとは乗組員の訓練不足でしょうね。敵戦闘機が現れなかったのも幸いでした」

壹岐春記大尉の航空記録(抜粋)。12月10日、「馬来(マレー)沖海戦」の記述がある