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92歳まで患者を診続けた「被爆医師」の晩年

「なにがなんでも長生きしなさい」

被爆医師だからできたこと

昨年に100歳でこの世を去った医師・肥田舜太郎氏は、太平洋戦争中に広島の陸軍病院で働いていたときに被爆した。その直後から、被爆者の診療を92歳で引退するまで続けてきた「被爆医師」として知られている。

 

長男で医師の泰さんは父についてこう明かす。

「父は『医師として何もできなかった』と当時のことをよく話していました。被災した人たちが死んでいくのをただ見るだけだったそうです。

できることは、高熱が出た患者に解熱剤を与えるのみ。放射線被害について何も知識がなかったわけですからね。しかし、医師としての役割を果たせなかった悔しさがその後の父の活動の原点です」

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それから、肥田氏は原爆が及ぼす影響について徹底的に調査を始めた。そして、直接被爆していないのに身体に異常を訴える患者が多いことから、放射線による内部被曝を疑い始める。

しかし、その努力も虚しく、「日本人が原爆の研究をすることはけしからん」と米軍から資料を取り上げられた上に逮捕までされてしまう。さらに、日本政府に共産党支持者だと言われて、病院を解雇される。それでも肥田氏は諦めなかった。

「内部被曝を疑うアメリカの医師と、連絡を取って調査を続けていました。また、自分と同じようにクビを切られた医者たちと共に民医連という団体を作って診療を続けました。

これは、経済的に困窮している患者たちのための医療ネットワークです。父は貧富の差で医療に差が生じてはいけないという考えを持っていた。被爆患者を長年診てきた中で培った信念だと思います」(泰さん)