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70過ぎて薬学部に入った遅咲きの研究者の「不屈の精神」

学び始めるのに遅すぎることはない

神戸製鋼のドン亀

神戸製鋼で社長、会長を務めた亀高素吉氏(享年86)は、同社の中興の祖であり、名門ラグビー部の「育ての親」と言われた実業界の傑物だ。

そんな亀高氏は82歳のとき、日本最高齢で薬学博士号を取得した遅咲きの研究者でもあった。

 

会長退任後、72歳で亀高氏は、北里大学大学院薬学研究科の聴講生となる。元北里大学教授で、20歳以上年上の亀高氏を指導していた石井邦雄氏はこう明かす。

「亀高さんは聴講生になる前から、薬学に関する書籍を読み、さまざまな分野の名医たちとも交流があったそうです。大学院で開講されていたのは12科目でしたが、亀高さんはオールA。学生より抜群に良い成績でした」

聴講生を終えた亀高氏を石井氏が研究に誘うと、「ぜひともやらせてください」と即答だったという。石井氏の研究室の研究員となった亀高氏はさらに学問に打ち込んだ。

「亀高さんと研究室の院生たちは、先輩後輩という関係ではなくて、もはや完全に仲間でした。院生たちも亀高さんが偉い実業家だったからといって遠慮はしませんでした。

亀高さんのほうも院生を軽く扱うことはありませんでした。亀高さんは教わるときは常に若い研究員をたてていた。研究用のラットの排泄物の掃除なども率先してやってくれました」(石井氏)

60代で巨大企業のトップに立った亀高氏をそこまで研究に突き動かしていたものは何なのか。長男・賛平さんが言う。

「一言で言うと、父は生命に対して深い関心を持っている人でした。戦時中、父は特攻隊の訓練所に所属しており、もうすぐ出撃というところで終戦になった。

一度死を覚悟していながら、再び命を与えられたことで、生命に対する感謝の念が強かった。自分の命を死ぬまで有効に活用していきたいという気持ちがあったんです。これが父の力の源泉だと思います」