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サリン事件が起きたとき、命を賭けて戦った医師をご存じですか

「すべての患者を受け入れる」

地下鉄サリン事件の「決断」

「すべての患者を受け入れる」

1995年3月20日午前8時すぎ、地下鉄サリン事件が発生。大パニックとなるなかで、当時83歳だった聖路加国際病院院長・日野原重明氏(享年105)の決断が多くの命を救った――。

 

日野原氏の指示で、聖路加病院は外来の診療や緊急以外の手術を中止し、病院を開放。サリン事件の被害者640人の治療にあたった。当時、自衛隊中央病院の医官で聖路加病院に派遣された現・ララクリニック総院長の青木晃氏はこう振り返る。

「まるで野戦病院のようでした。もともと日野原先生の意向で、聖路加病院には緊急時に大勢の患者を収容できるようにと病室の代わりになる広い礼拝堂が作られていました。

壁の配管に人工呼吸器が付けられるようになっており、点滴と毛布を持ち込めば医師が患者を診られるようになっています。

そこに、次から次へと患者が運ばれて、寝かされていった。日野原先生は、自らが先頭に立って患者をトリアージされていました」

トリアージとは患者の症状を見極めて、重傷、中傷、軽傷に分けていく作業である。患者の生死を左右するため、瞬時の判断力が求められる。

「通常、平時の医療ではトリアージはやりません。患者は誰も平等に診察するのが基本だからです。ところが、地下鉄サリン事件のような救急医療の現場では、優先順位をつけなければなりません。

ただしトリアージは、幅広い知識があり、訓練を受けた医師でないとできない。日野原先生は、救急車から患者が送られて来るたびに、一人一人を診察しトリアージしていったんです。

病院のトップが自ら現場まで降りてくることは通常では考えられません。状況報告を聞いて指示を出すだけです。しかし、日野原先生は率先して現場にいた。これには深い感銘を受けました」(青木氏)

日野原氏は、休日中や待機中を含めたすべてのスタッフを総動員して、患者の対応にあたらせた。そもそも、聖路加病院のような大規模な病院で、外来をすべてストップさせることは至難の業だ。

私立病院ではどれほどの損失が出るかわからず、経営にも関わる。だが、日野原氏は「これは異常事態。自分がすべて責任をとる」と言い切った。