両親は二人とも若かった。母親は高校三年の十八の時に長女の伊藤いずみ(仮名、ほかの登場人物も仮名)を出産した。父親もわずか二歳上でパチンコ店の従業員だった。二人は、いずみの下に二人の男の子をつくった。
家は経済的に困窮していた。次々と子供が生れたために母親は働くことができず、父親も若いこともあって稼いだ金の多くをバイクやパチンコにつかってしまって、給料日から半月もすれば親戚を回ってお金を借りるのが習慣になっていた。
こうなると、否応にも夫婦喧嘩の回数は増えてくる。離婚が決まったのは、いずみが小学校へ上がった年だった。
離婚後、いずみはてっきり母ときょうだい三人で暮らすものだとばかり思っていた。ところが、父親が親権を持って実家に帰ったばかりか、いずみはこう言われたのである。
「実家は狭いし、お金もない。だから、いずみだけが施設に行くことになったから」
たしかに実家は2DKのアパートで、祖父はすでに故人となり、祖母がほそぼそとパートタイマーとして働いているだけだった。いずみは、自分だけ切り離されたという気持ちになったが、嫌だということもできず、「お金ができて引っ越したら迎えに行く」と言われ、うなずくほかなかった。
児童養護施設によって方針は様々だが、そこはなるべく子供を家に帰そうというところだった。土日祭日には一時帰宅を促したり、親が泊まれるスペースを設けて、そこで一、二日一緒に寝泊まりすることもあった。
いずみも、家に帰ったり、父親と施設の宿泊室に泊まりたいと思っていたが、休日に仕事があるためにほとんど来てもらえなかった。面談や運動会の日だけ、祖母が一人でやってくるくらいだった。
彼女は語る。
「施設の子供たちの間で親の子とはあまり話しません。でも、それなりに、みんな家族が来てくれるのを待ってたし、たまに家族の元へ帰れる子がいるとものすごくうらやましかった。私は父がまったく来てくれなかったので、だんだんと土日に体調を崩すようになりました。
他の子の親が来てくれるのに、また自分の親だけが来てくれないかもしれない。そんな不安があったんでしょうね、かならず金曜日になると熱が出て寝込んじゃうんです。一時期それで病院をたらい回しにされたことがありました」
自分だけ土日に親と会えないという思いが、彼女の心にストレスを与えていたのだろう。