12月5日午前9時、大阪ベイエリアにある巨大国際展示場インテックス大阪に向かう人波の中に私はいた。眼前には2025年大阪万博の会場となる夢洲(ゆめしま)が見える。
私は季節はずれの暖かさに汗ばんでいたが、周囲はがっちりと冬服を着込んだ高齢者が多く、杖を突く老人もいた。その列は、「武田薬品工業株式会社 臨時株主総会」の立て看板がある会場に吸い込まれていく。
「うちは古くからの株主の方が多いんですよ」と武田の社員は口にした。
臨時株主総会の議案は、5月に発表したアイルランドのシャイアー社を買収するために行う新株発行と、新任社外取締役候補3人選任の2つ。それは事実上、約6兆8000億円という日本史上最高額の買収の是非を株主に問うものだ。
武田より大きな世界企業を買収して大丈夫なのか。「無謀すぎる」との批判も多いこの買収戦略について、フランス出身のクリストフ・ウェバーCEOが何を話すのか。聞いてジャッジするために株主は集まったのだ。
株主総会は午前10時に開始。午前11時過ぎ、質疑応答に入ると、ポツリポツリと帰り始める株主を、報道陣が囲む。
「まあ、説明内容は紙(招集通知)に書いてある内容そのままでしたよ」
「社長さんが質問する株主に上から目線で対応してましたね。自分は賛成しかねます」
午後12時20分過ぎ、議案採決。かかった時間はわずか1分。議案の採決直前に怒号が飛び交うといったことはなく、「採決に移りたいと思います」との声に拍手が起きるほど粛々と執り行われたという。
反対勢力がなかったわけではない。この2日前、買収に反対する武田薬品の創業家関係者や武田OBなど約130人が参加する「武田薬品の将来を考える会」は、東京都内の日本外国特派員協会で会見。同会の事務局を担当する三島茂氏は「反対派は現時点の推定で25%前後。欠席者数次第では否決もありうる」と話した。
しかし、蓋を開けてみれば実際の反対派は10%強に過ぎず、議案の否決には遠く及ばなかった。総会終了後、記者に囲まれた創業家の武田和久氏(元武田薬品国際営業部長)は、「ウェバーCEOは高圧的だったという株主もいましたが」という問いに、「まあ平行線のままでしたよ」と憮然とした表情で話した。
今回の臨時株主総会の開催を会社側が公表したのは11月12日のこと。株主総会開催は年明けだと踏んでいた反対派は完全に意表を突かれた。総会に当たって株主側が事前提案権を行使できるのは、総会の8週間前までと決まっており、手も足も出ない。反対派が増えることを恐れた会社側が、不意打ちに出たとも言える。
これにより、既にアメリカ、ヨーロッパ、日本、中国などの規制当局からシャイアー買収に関するクリアランスを得ている武田薬品は、難関をほぼ乗り超えたことになる。買収が実現すれば、武田グループの総売上高は倍増の3兆2000億円超で製薬業界で世界8位となり、悲願の世界トップ10入りを果たす。
ただしこの買収は、もともと株式時価総額では自社を超えていたシャイアー社を、発行済み株式を倍増させ、さらに金融機関から3兆円超もの借り入れをして行う予定だ。創業家や株主でなくても、「大丈夫か?」と思って当然だ。
なぜここまでの買収に踏み切ったのか?それを説明するには、武田薬品の歴史も含めて振り返らねばならない。
大阪市中央区道修町2丁目。今から約230年前の江戸時代後期、近江屋という屋号の和漢薬の薬種中買商(二次卸)がここで商いを始めた。これが武田薬品の創業だ。国内製薬企業では、田辺三菱製薬(約340年)、世界的にも有名になった免疫チェックポイント阻害薬「オプジーボ」を生み出した小野薬品(約300年)に次ぎ、三番目に古い。
転換期は幕末。4代目長兵衛は武田姓を名乗り、当時輸入が始まった西洋薬の卸へと舵を切る。これが成功した。5代目武田長兵衛の時には医薬品製造も開始。国内製薬企業のトップに立った。武田の製品群には現在でもワクチン、血液製剤(子会社・日本製薬が担当)という「富国強兵」への必需品も抱える。
半ば国策企業的な側面も有する「日の丸」企業の代表選手が武田なのである。その武田にとって製薬業界世界トップ10入りは長年の悲願だった。