「家族がいるから、老後も多分大丈夫」という思い込みの「落とし穴」

孤独死・老老介護に陥る人の深層心理
真鍋 厚 プロフィール

遠藤さんの終活サポートは、家族代行と見守りを兼ねたもの。介護施設選びから入所後の施設とのやり取り、本人の健康状態の確認までを家族に代わって一手に引き受けている。必要な場合は、死後の葬儀や遺骨の処理までも請け負うという。

今のところ、「疎遠になっていた身内が認知症などになったのだが、面倒を見切れない」といった人からの依頼が目立つ状況にあるが、これからは「普通の家族」でもこのような事案が増加するとみている。

ただ、現在は、上記のように、家族からの事態が深刻化してからの急な依頼が多い背景には、「家族で何とかしなければ」という思いに囚われて消耗し、第三者に助けを求めるまでに時間がかかることが挙げられる。

仮に親が重度の要介護状態で、子どもが一人っ子の場合、入所施設が遠方であったり、仕事の都合で駆け付けにくかったりなど、トラブルにすぐに対応できないため、このようなサービスを受けることは現実的な選択となる。

「働かないと生活が回らないので、介護疲れなどにより体調を崩したりすると、家族全員が共倒れになる恐れがある。だからその前の段階で、私たちのような存在がいることを知ってほしい」(遠藤さん)

 

「2・5人称の関係」とは何か

遠藤さんは、「自分たちの立ち位置は、家族ではないけど、かといって他人でもない〝2・5人称の関係性〟」と表現する。

「家族だと2人称の関係性になってしまう。自分たちは明らかに家族ではないけれど、一方で3人称の関係性だと他人になってしまうので、ちょっと距離が開き過ぎてしまって、サービスを受ける側の満足は得られないんです。

だから私たちは〝2・5人称の関係性〟でやっています。感覚的には、ある時間帯だけその方の家族の代わりになって、入所先の施設の担当者とやり取りをしたり、個人宅に直接訪問して安否確認をしているのに近いですね」

一昔前、二昔前にはあったような親族やご近所とのつながりが薄れ、何か事が起これば、数少ない家族にすべての負担がかかる。介護保険などの公的支援にも限界がある上、しかも、それを独力でこなすことは肉体的にも精神的にも厳しい。

だが、「第三者」の手を借りるにしても経験がないため、価値判断(正しい選択かどうか)とアクセス方法(誰に頼めば良いのか)の両方で戸惑うこととなる。

ここに「自分の関係性を自分でマネジメントする」ことのヒントがある。

孤独や孤立をめぐる議論は二極化に陥りやすい。つまり、肯定派と否定派だ。しかし、現実はそれらの是非を超えて、「第三者の協力が得られないと、人は生き残れない」と告げている。

これは実は、病気や失業などの緊急事態の場合は云々……といった限定的な局面のみを指しているわけではない。普段の生活で心理的な安定を得ようとすれば、コミュニケーションの濃淡を別にして、「自分にフィットした関係性」が不可欠となる。そのため、「孤独死予防」に主眼をおく消極的な関係作りよりも、「心の健康」を最大化できる関係作りがベストとなる。