Photo by iStock

「家族がいるから、老後も多分大丈夫」という思い込みの「落とし穴」

孤独死・老老介護に陥る人の深層心理

「家族同士で面倒をみるべき」という価値観

「家族がいるから孤独死の心配はない」――そんな声をよく聞く。

だが、これは大きな間違いだ。超高齢社会では、死別、あるいは入院や入所に伴う別居状態など、様々な事情により誰もが単身生活者の境遇になり得る。

 

むしろ家族を「無償のインフラ」のように捉えてきた人ほど、家族に対する依存の度合いが強い傾向にあるため、かえって単身となった場合の孤立のリスクは高くなる。これは、家族が現在のような社会経済的に脆弱化してしまったものではなく、昔の思い出などから「安定したユニット」として記憶されていることによる誤解に過ぎない。

終活サポートを行なっている遠藤英樹さんは、依頼者の案件を多数こなす中で感じたことをこう話す。

「ほんの3、40年前ぐらいまでは家族の単位も大きくて、親族のネットワークも機能していたから、今でいう『終活』もどうにかなった人が多かった。つまり、面倒臭さと表裏一体ではあるけれど、相互扶助のようなものを期待することができたんです。

しかし、現在はというと、病気でも介護でも何かしらトラブルがあると、すぐに家族が壊れてしまう非常に危うい状況にあります。『普通の家族』自体がはっきり言ってすごくリスクの高いものになっているんですね。しかも、現役世代の人ほど自分には関係ないと思っているのが問題です」

例えば、現在50歳の会社員で、75歳と78歳の両親がいる場合、10年後にはそれぞれ順に60歳、85歳、88歳となり、15年後には同じく65歳、90歳、93歳となる計算だ。

しかし、子どもの立場にいる人の大半は、「自分は歳を取らないことを前提に考える」そうだ。つまり、自分は50歳のままの感覚で親の介護などの問題を語るのだという。

そこで起こるのが、親子での「老老介護」だ。子どもも高齢化し、持病や障害などを抱えている場合もあり、すでに要介護状態になっていることすらある。

最悪なケースとしては、90代の親が入院中に、60代の子どもが自宅で倒れて亡くなり、発見が遅れる――典型的な孤独死だ。そこには、「家族がいる」「自分は大丈夫」という根拠のない思い込みが底流している。

お互いの安否を気遣うレベルの近所付き合いや、日常的に対面する友人などが一人でもいないと、このようなリスクを回避することはかなり難しい。実際、遠藤さんの顧客にもこういった例は珍しくないという。

つまり、現時点で自分が置かれている「関係性の貧困」について、客観的に捉えることができていないのである。

これは仕事の有無や、パートナーの有無にまったく関係なく、誰もが「自分の関係性を自分でマネジメントする」ことが必要な時代に突入したことを意味している。近年ビジネスシーンでは、「関係性のマネジメント」という言葉が流通しているが、これからは私的な領域においても、「QOL」(生活の質)の視点から「関係性」を再考することを余儀なくされるだろう。

とはいえ、個人が主体的にコミュニティを立ち上げたり、ネットワークを作っていくライフスタイルは、残念ながら一部の例外を除いて、日本の文化にはあまり馴染みがない。家族や会社での人間関係を「固定されたもの」として認識し、所属集団へ閉じこもるような依存体質があるためだ。

そして、最も大きな障壁になっているのは、「高齢者は家族が面倒をみるべき」という、家族を言わば聖域化する価値観である。