世界第4位の移民大国・日本で注目されない「もう一つの法改正」

「ひとを管理する」という発想
下地 ローレンス吉孝 プロフィール

「移民政策ではない」の効力

政府はかたくなに「移民」という言葉を使わないが、現実として多くの海外ルーツの人々が日本社会に暮らしている。すでに地域の一部、職場・アルバイトの同僚、友達、家族の一員となっているのである。

政府はあくまでも「定住をさせない=移民と言わない」という姿勢を貫いているが、これは移民をめぐる諸問題を「政府の責任」「社会の責任」として受け止めることを避け、何か問題が生じたときにはあくまでも移住した本人や受け入れた企業などの「自己責任」に帰する、という効力をもっている。

 

もし、政府が「移民を受け入れている」とし「移民政策」を舵取りした場合に、統合にまつわる種々の問題の責任は政府の肩にのしかかる。

しかし、現状ではすでに90年の入管法改正による日系人の受入れ拡大や、技能実習制度の開始、留学生受入れ計画などを実施し、その結果として海外ルーツの人々が多く暮らしている移民社会であるにもかかわらず、政府は十分な施策や対応を果たしてはいない。

「移民と言わない」「移民政策ではない」と言い続けることは、政府が自らの責任を避けるための大きな免罪符なのである。

〔PHOTO〕iStock

社会の維持と経済の活性化、そして税の負担をともに担う人々に対する責任意識を政府はしっかりと持つべきではないだろうか。人を単なる労働力としてしか見ない発想は今すぐに改善する必要がある。

また、これは移民や外国人を忌避する人々への言い訳としても効力をもっている。「移民が増えれば犯罪が増える」と信じている人々にとっても、「移民」ではなく「外国人材」や「労働者」という言い換えは功を奏しているかもしれない。

警察白書の数値でも分かるとおり、実際には移住者の数は急激に増加している一方で、外国人犯罪の検挙件数と検挙人員数は共に平成17年ごろから大幅に減少している)

政府がどういう言葉を使おうと、社会で生活する外国人や海外ルーツの人々はすでに暮らし、さらに増加し続けている。

共生ではなく、監視・管理が強化されていくような状況の中で、すでに暮らしている多様な人々の状況はどのように影響を受けるのだろうか。定住や共生に関する具体的な施策がないがしろにされたまま議論が進むことは危険ではないだろうか。

今回のような性急な審議では、国民が十分に議論する暇は与えられていない。問題を正確に把握し、真摯に受け止め、よりベターな方向に向けての議論が必要である。

内実の伴わない法案の可決に急ぐ動きは、人々がこのテーマで議論する機会そのものの封じ込めとも考えられる。そして、このような政府の動きは、今後の同様な「重要法案」でも繰り返されてしまうのではないかという可能性も考えられる。