ドラマ『昭和元禄落語心中』が描く落語家の「凄まじい色気」

通も演者たちの姿に唸った!
堀井 憲一郎 プロフィール

質の違う二人の色気

だから色気のある落語家は人気がでる。女性に人気が出るのは当然だが、色気のある男性落語家は、男にも受ける。

ドラマで大ネタを見せてくれるのは、こういうネタのほうが演者が色っぽく見えるからだろう。少なくとも色気を見せるシーンが必ずどこかにある。テレビ的なネタなのだ。

色気というのは、べつだん、花魁を演じたり、おかみさんを演じているところに出るわけではない。たしかに「女を演じさせると上手い」という落語家はいるが、それと色気は別ものである。女性落語家のむずかしいところは、ここにある。

『昭和元禄落語心中』のいいところは、二人の対照的な男を出しているところにある。

つまり質の違う色っぽい落語家が並んで出てくるところだ。

線の細い色白の菊比古(のちに八代目八雲/岡田将生)と、色黒で荒っぽい初太郎(のちに助六/山崎育三郎)の対比が見事で、そしてこの二人がやたらと仲がいい。

 

兄弟弟子が、じゃれつくように仲がいいという設定は、これはやはり女性の作者じゃないと描けないとおもう。そこがいい。

実際にはこんな兄弟弟子はいないだろうというのはこのさいどうでもよくて、可能性としてこういう弟子がいていいんだから(一時期だけじゃれつくように仲良かった兄弟弟子はいたとおもうし)、そこを広げて見せてくれるのがとてもいい。

男同士の恋愛じみた感情(いわゆるBL路線)も、描きかた次第では、とても奥行きが出てくるのだ。

ドラマでやるからこその面白さ

陰気なほうの菊比古に合う噺は「死神」、いっぽうの助六は「野ざらし」の陽気が合っている(そういえば菊比古(岡田将生)に「死神」をつけていた(教えていた)のは現役の落語家・柳家喬太郎で、あのシーンでは細かく指示していて(死神の出現のときの声のトーンについて注意していた)かなりマジっぽかったので、とてもよかった)。

そういう陰陽の割り振りが見事である。その二人で芸を競っている。

落語好きが見てもとてもわくわくする部分である。

この二人に、志ん生や圓生、文楽、または志ん朝、談志なぞをなぞらえても意味がない。さすがに満州に行ってからひと皮剥けたというような有名なエピソードからは(五代目古今亭志ん生の有名な逸話。六代目三遊亭圓生と行っていた)実在の落語家を連想するが、そこにもあまり意味はない。

〔PHOTO〕Gettyimages

ドラマでも、ただそこにある落語、あったかもしれない落語が示されて、とてもいい。喋ったら消えてなくなるのが、落語の根本であり、その場で聞いてないものはどうしようもないのだ。録画されるようになってからでも、その本質は変わっていない。

でもドラマの中の落語は、テレビで見ていてもライブ感がすごい。演者がテレビカメラに向かって演じているからだろう。

ふつうは「目の前にいる客に向かって落語をやっている」のを録画(ないしは中継)するものなので、映像で見るとどうしても軽い疎外感がある。自分に向かって話してくれてないということが(自分はこの落語の直接の客ではないという気配が)つきまとうからだ。

でも、ドラマではそれがない。

自分に向かって話してくれてると信じられる。だから、とても色っぽく見えるのだ。
ずっと目が離せないドラマである(翌週に再放送してくれるのがNHKのいいところですね。まあ、有料だからね)。