有楽亭助六の色っぽさ
NHKのドラマ『昭和元禄落語心中』では落語家の色気を描いている。
しっかり落語家が色っぽい。見事である。
原作の漫画も、男の色気をしっかり描いていて、人気があったとおもうが、ドラマでは山崎育三郎の演じる有楽亭助六がいい。強く色っぽい。

やはり芸人は色気がないと売れない。
第6話で助六は『芝浜』を演じた。
これがよかった。
『芝浜』は落語ダネのなかでも、とくに人気の高い一席で、大晦日が舞台になるために12月に好んで演じられる。たぶん、今日もどこかで誰かが演じているだろう(←12月限定だけど)。
ほぼアルコール依存症だとおもわれる魚屋の主人公が、おかみさんの機転と説得によって酒を断って真面目に働き、立派に生きるという噺である(ちょっと偏った解説ですけど)。
あら筋を書けばわかるように、本来はあまり落語的な演目ではない。しかし人気があるので、いろんな落語家が掛ける。
ドラマの6話で、田舎に逼塞した助六をふたたび落語世界に引っ張りだすために、岡田将生演じる有楽亭菊比古が落語会を催し、そこで助六が「芝浜」を演じる。
「また夢になるといけねえ」にシビれる
よかったのは、最後のサゲの部分である(サゲは最後のセリフ、いわゆるオチのこと)。
また夢になるといけねえ、という粋なセリフで終わる(知らない人にはどう粋なのかわからないだろうけれど、とにかく粋なのだ、つまり何かかっこいい、ということだけわかっておいてもらえばいいです)。
山崎育三郎の助六は、このセリフを言い切って、見得を切るように一瞬相手を(つまり目の前にいるはずの女房を)凝視した。そして間をとって、正面を向いて辞儀。
ちょっと痺れた。
『芝浜』は何人もの演者で何十回と聞いたが、こんな芝浜の終わりかたを見たことはない。
こんな高座を見てみたい、とおもった。
山崎育三郎の色気があふれでていた。
少し羨ましいような落語世界が描かれている。『昭和元禄落語心中』というドラマの優れたところである。
「客」の演技を見よ
この助六(山崎育三郎)の『芝浜』がよかったのは、客の質の良さにもよる(演出されている客だけど)。
サゲの「夢になるといけねえ」を言ったあと、助六が間を取って、やがて向き直って辞儀をするまで、誰も手を叩かなかった。私は現実には、そういう一席には出会ったことがない。
サゲが言われてから、観客全員が1秒以上の間合いを取って、拍手を始めない、ということは、ふつうまず起こらない。寄席やホール落語で見たことがない(新作落語で、いま終わったのかどうかわからないので、奇妙な間があるということは起こるけど、馴染みの古典では起こりにくい)。
だいたいサゲの言葉のあと、間髪を入れずに拍手が起こる。というか、やや、セリフにかぶせながら(つまり落語家がセリフを言い切ってないうちに)手が叩かれることも多い。とても残念で哀しい風景ではあるが、現実はそういうものである。
とくに『芝浜』などの人気演目になると、まず、かぶせぎみで手が叩かれる。