平成ヤクザ界最大の謎「宅見勝若頭暗殺の深層」をキーマンが明かした

山口組「奥ノ院」で何があったのか
中野 太郎 プロフィール

「喧嘩太郎」「人斬り太郎」と恐れられた男の苦悩

頻繁に電話がかかってくるようになったのは、私が京都・八幡市内の理髪店で会津小鉄の者たちの銃撃を受けた直後からであったと記憶している。5代目はいつも苛立ちを隠さず、私たち2人は、ときには何時間も、「この件」で話し込んだ。

私は正座をしたまま、電話の向こうの5代目の声に耳を傾けた。直接会って話すことも少なくなかった。当代の前では、私はいつでもどこでも、何時間でも正座していた。それが当代への礼儀だからだ。

 

顔の見えない電話でも同じことである。当時は携帯電話や自動車電話の使い勝手が今ほどはよくない時代でもあり、移動中に連絡があったときなどは、公衆電話ボックスに駆け込んでかけ直すことも珍しくなかった。

5代目の「望み」は、ただひとつだった。「とにかくはよう、カシラの……」

命(タマ)を殺(ト)れ、ということである。

自他ともに認める「5代目の親衛隊帳」である私にしか、5代目はこんなことを頼めなかったのだと思う。

このことを初めて言われたのは、いつだったか。今となっては、思い出せない。それなりに衝撃ではあったが、それと同時に「やっぱりなあ」という思いも同じくらいあったことは覚えている。

だが、「喧嘩太郎」「人斬り太郎」と呼ばれ、「そんなもん、いてもうたれ」が口癖の私ではあっても、簡単に「ハイわかりました」と言える話ではない。