ここは円頓寺商店街ではないが、全国で「空き家・空き店舗」は4戸に1戸が予備軍と言われている Photo by iStock

シャッター街を奇跡的に甦らせた「空き店舗&空き家」再生の極意

「解体すると消失するもの」の価値とは

近くに駅ができたわけでもないのに

日本全国にどこにでもあるシャッター商店街から”奇跡的“に甦った名古屋の円頓寺(えんとうじ)商店街。2003 年頃には店の数はその10年前の約半分となり、閑散としてしまった商店街とその界隈が、いまでは名古屋でももっとも人気のあるエリアのひとつとなっている。

活気を取り戻し、賃料も倍以上になった。11月半ばに行われた「円頓寺のパリ祭」では、朝から晩まで歩けないほどの人々で溢れかえった。

なかでも一番価値のある変化は、空き店舗・空き家をリノベーションしてオープンした店のほどんどが、時間を経ても繁盛し続けているということだろう。空き店舗・空き家の再生プロジェクトが始まってからちょうど10年経った。その間に28店舗が開店し、オーナーの個人的事情で閉店した2店舗を除き、26店舗が続いている。

飲食店でいえば新規開店して1年のうちに30%が閉店するといわれる昨今、これは例外的成功だと言えるだろう。これに“あやかって”円頓寺に店を開きたいという希望が今はひきもきらない。

近くに駅ができるなどインフラのプラス変化があったわけでもなく、資金が投入されて新しい施設ができたわけでもない。逆にこの数年で徒歩15分にある名古屋駅の再開発が完了し、巨大はショッピング・飲食ゾーンが登場した。そのなかで、円頓寺という古いシャッター商店街が再生したのは「奇跡」といってもいいだろう。

その奇跡を導いた立役者が建築家の市原正人(57歳)である。

三味線の師匠がこの円頓寺商店街に連れて来てくれたという市原さん。この近くの古民家改修の仕事がきっかけで知り合った。現在の商店街にて 撮影/入江啓祐
名古屋の円頓寺商店街は、昭和40年代に名古屋の「三大商店街」のひとつとして誕生しながら、半数以上がシャッターを閉める街になっていた。その復活劇を『名古屋円頓寺商店街の奇跡』という一冊にまとめたのがライターの山口あゆみさんだ。新たな取材を加え、復活劇の核となった「空き店舗再生」についての極意をまとめる。
市原氏が復活劇に関わるようになった経緯を綴った前回の記事こちら
 

仕事でなかったからこそ価値がわかった

市原はDEROという建築設計事務所を経営しているが、この円頓寺はそもそも彼の仕事場ではなく、クライアントがいたわけでもない。DEROで手掛ける建築は、病院などの医療施設、全国の美容院、ミュージアム、飲食店が中心である。市原が円頓寺商店街と関わり始めたのは20年近く前。円頓寺商店街界隈の飲食店に通ううち、そのときはシャッター街だった円頓寺商店街のポテンシャルに気が付いた。なぜなら飲食店の一店一店は常連客で賑わっていたからである。

次第に円頓寺商店街の「ダメなところ」も含めて好きになった市原はなんとかこれ以上、商店街の店が減ってしまわないために何かできないか、と考えた。

円頓寺に通うことで町の常連となっていった市原は、円頓寺界隈に同じような思いをもつ何人かに出会い、一緒に「那古野下町衆(ナゴノシタマチシュウ)」というボランティアの団体に参加した。目的は円頓寺商店街とその界隈の活性化。その目的のためには、シャッターが閉まったままの空き店舗や空き家を再生させることが必須だった。店が増え、そこで商売が活況とならなければ、他の何が成功したとて、商店街が活性化したとはいえないからである。