精神科の「隔離と薬漬け」の末に亡くなった、38歳男性と両親の無念

ルポ ブラック精神医療(3)
佐藤 光展 プロフィール

母親の美奈子さんは広島市の安田女子高等学校で音楽を教えていた。一郎さんは美奈子さんの影響でクラシック音楽が好きだった。家族で度々、コンサートに行った。会場では静かに、心地よさそうに演奏を聴いた。

だが美奈子さんが登場する演奏会は特別で、興奮を抑え切れなかった。安田女子高等学校で行われた定期演奏会。合唱の指揮のため舞台に登場した美奈子さんを目ざとく見つけた一郎さんは叫んだ。

「あ、お母さんや!」

場内の緊張は一気にほぐれ、笑顔が広がった。危なっかしくていつも冷や冷やするけれど、真っ直ぐな心を持つ一郎さんを美奈子さんは愛した。

月日は淡々と過ぎて行った。作業所通いを続ける一郎さんの家には、広島大学で福祉を学ぶ学生たちが頻繁に訪れ、一郎さんとの交流を通して自閉症への理解を深めていった。陽三さんと美奈子さんは貯金を続け、一郎さんが20代の時に3階建てのマイホームを建てた。

家族3人には大き過ぎるその家は、将来、一郎さんが仲間や支援者と共にグループホームのような形で住むことができる設計にした。他に所有する物件から、一定の家賃収入を得る道も作った。親亡き後も、一郎さんが慣れ親しんだ家で安心して暮らせるように。

大好きな一郎さんのために頑張ることが2人の喜びであり、一郎さんは2人の活力源だった。

 

変わり始めた「穏やかな日々」

順調に見えた将来設計は、2010年、陽三さんの体調急変で狂い始めた。父と子は毎朝、家の周囲を1時間半ほどかけて散歩するのが長らくの日課になっていた。それができなくなった。

美奈子さんは甲状腺の病気を患って疲れやすかった。それでも陽三さんの看病と一郎さんの世話に全力を傾けた。心身の疲労は積み上がるばかりで、顔面神経麻痺と動眼神経麻痺を立て続けに発症し、右の瞼が下垂したままになった。

眼科医は「このままでは症状がさらに悪化して、目が開かなくなるかもしれない。ご主人と息子さんの両方を一身に抱え込んでいたら、あなたの体が先に駄目になりますよ」と忠告した。

自閉症の人は決まったペースが乱れるのを極端に嫌う。散歩が途絶えた一郎さんはイライラを募らせ、早朝に「はよせえや」などと大声を上げたり、服を脱いで裸になったりした。ちょうどこの頃、一郎さんが可愛がっていた飼い猫がいなくなり、ますます落ち着かなくなった。

2012年、美奈子さんは一郎さんを一時入所させてくれる施設を探し始めた。苦渋の決断だった。

近くの施設には空きがなかった。そこで、福岡県の障害者支援施設を頼った。

1回目のショートステイ初日、一郎さんは美奈子さんの姿が見えなくなると急にそわそわした。その夜は一睡もせず、しゃべり続けたり大声を出したりもした。だが2日目の夜は疲れて5時間眠った。このような1日おきの睡眠サイクルをショートステイ中は繰り返すことがわかり、この施設は一郎さんのペースを尊重する体制を組んだ。

眠らない日は、夜勤の職員がすぐそばで長く対応できるようにした。すると一郎さんの不安は和らぎ、大声を上げる頻度が減った。昼間も他の入所者と一緒に運動するなどして、楽しく過ごせるようになった。

ショートステイを繰り返して、楽しく過ごす一郎さんの姿と職員の力量を垣間見た美奈子さんは、この施設に一郎さんを預けたいと思った。広島の家をグループホームのように使う夢は潰えても、一郎さんが今、最も安らげる道を選びたかった。一郎さんにいつでも会えるように、将来は福岡に引っ越す決意もした。

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