「平成」とは何だったのか? ミスチルと日本代表から見えた時代精神

自己実現、広告、そして…
柴 那典 プロフィール

――Mr.Childrenと日本代表が象徴したのは自己実現の精神性ということですよね。「自分探し」や「自己啓発」と、いろんな言い方がありますけれど、この本の中にもある「自己実現」という言葉のニュアンスが一番しっくりきます。

宇野 自己実現。そうだね、個人的にはわりと距離のある言葉なんだけど(苦笑)

――自己実現ということは、すなわち、アイデンティティの獲得と目標の達成が直接的に結びついているということですよね。つまり「自分らしさを獲得したら勝てる」という価値観がアスリートに根付いた。

サッカーだけじゃなく、どんなスポーツ選手も勝利後のインタビューで「自分らしいプレイができました」とか「自分らしい演技ができました」と言うようになったじゃないですか。相撲取りだって「自分らしい相撲がとれた」と言う。

宇野 みんな言うよね。「ライバルは自分です」みたいな。それって、「尊敬している人は両親です」みたいなのとも対になってるよね。そこでの外部のなさには、ちょっと恐ろしいものがあると自分は思う。

 

昭和は「自己犠牲の時代」だった

――これって、振り返ると、日本社会全体の話でもあると思うんです。昭和の日本には社会全体が共有する大きな目標があった。戦後には敗戦からの復興というストーリーがあったし、高度経済成長期からバブル時代にかけては『ジャパン・アズ・ナンバーワン』と言って、今度は経済でアメリカに勝って世界一になるという目標を共有して進んできた。

けれど、バブル崩壊を経て、そういう目的意識を失ってしまったが、Jリーグがスタートしてミスチルがブレイクする1993年までの平成初期の数年間だと思います。そして、その年に「ドーハの悲劇」があった。

ということは、その時に日本代表が掲げた「いずれサッカー強国になって世界と戦う」というグランドデザインが、日本社会全体が失っていた目標みたいなものにすっぽりとハマった感じがするんです。そして、そのBGMとして、自分らしさについて歌ってきたミスチルが鳴っていた。

そう考えると、平成という時代は、すなわち「自己実現の時代」だったということが見えてくる。そういうことを解き明かす本になっていると思います。

宇野 そう。だから最初に想定していたよりも、意外に大きなことを語っている本になったんです。

――さらに言うなら、平成のスポーツ選手が勝利のために「自分らしさ」が必要だと考えるようになったとするならば、昭和の時代にそれにあたるのは「根性」だと思うんです。平成になってからパッタリと聞かなくなったけれど、当時には「スポ根」という言葉があった。

宇野 たしかに。となると、三浦知良は昭和的なスターだよね。実際にはJリーグが始まってからのスターだけれど、昭和的価値観を象徴している。

〔PHOTO〕gettyimages

――勝利のためには、恋愛や他の楽しみを投げうつ血のにじむような努力と根性が必要と考えられていた。「自己実現の時代」という言葉に対応させるならば、昭和の時代は「自己犠牲の時代」だった。

宇野 実際に必要だったかどうかわからないけど、それがひとつの理念として共有されていたということだよね。

――そうですね。しかも、そういう昭和の時代を象徴するような国民的ヒット曲ってなかったのかな?と思って探したら、あったんです。

宇野 何?

――美空ひばりの「柔」。東京オリンピックのあった1964年に発表されて、その年を代表するヒット曲になっている。あの曲の歌詞がヤバいんです。悪い意味でヤバい。

宇野 パワハラしまくりって感じ?

――そう。〈口で言うより 手の方が早い〉という歌詞があるんです。〈人は人なり のぞみもあるが 捨てて立つ瀬を越えもする〉とか〈柔ひとすじ 夜が明ける〉とか、まさに自己犠牲の価値観を歌っている。

この歌詞って、今のスポーツ界で起こっているパワハラ問題を象徴していると思うんですよ。ボクシングにしろ体操にしろ、指導者や協会の上層部にこの価値観で育ってる人が沢山いて、これが時代の変化についていけなくなって葬り去られつつあるのがここ最近の動きなんじゃないか、と。この本を読んで改めてそう思いました。

宇野 なるほどね。でも、そんな昭和的価値観のスポーツ界にいち早く新しい風をもたらしたのが、Jリーグ初代チェアマンの川淵三郎で、彼はいわば新自由主義の象徴的な人物でもある。Jリーグだって、地域の活性化を謳いながらも、商業主義ともがっつりと手を組んでやってきたものだった。

もし平成の30年を「○○の時代」と言うことができるという発想で語るならば、自分は平成は「広告の時代」だったと思ってるんです。

もちろんそれ以前から広告は大きな力を持っていたし、広告界からいろんな流行語が生まれたり、糸井重里をはじめとするスターが生まれたりしたのはむしろ昭和だけど、広告というものが全ての中心になって、そこが突出して目立つのではなくて、より洗練されて水や空気のような環境となっていった時代が昭和の終わりとともに始まったと思う。