人気マンガの「遺伝的才能発揮ストーリー」が教える“教育の本質”

行動遺伝学者がマンガを読んだら…
安藤 寿康 プロフィール

実はこの場面、私の教育学の授業の中でしばしば使う。教育という行為は人間特有のものと思われがちだが、2006年にミーアキャットにもその存在がサイエンス誌に報告された。

ほとんどすべての動物は、生きるための知識と技を自分ひとりで個体学習する。ライオンの狩りの共同学習や鳥の鳴き声の模倣学習も、師となるエージェントはおらず、利己的な行動をする他個体のいる社会的状況の中で学習者は個体学習するのみだ。

ヒト以外の動物で、他個体の学習を利他的に促す特別な行動としての教育が確認されたのはこれが初めてである。そのやり方がまさに宝蔵院なのである。サバンナに住むミーアキャットは短期間でサソリの捕り方・食べ方を学ばねば生き延びられない。これは個体学習では習得のできない難しい技なのである。

そこで親でもない群れの中の大人個体が、まだ小さいミーアキャットの子どもの前に、まず殺して動かなくなったサソリを持ってくる。これで食べ方を学ぶと、次に半殺しの状態のサソリを与える。それが食べられるようになると最後に元気な生きたままのサソリをあてがう。

動物行動学ではこれを「前進的教示(progressive teaching)」と呼ぶ。

武蔵は胤舜にとって生きたままのサソリだったのだ。命のやり取りという最難関の目標課題は、言葉による説明や道場での擬似的な訓練では会得できない、命がけの真剣勝負を必要とするものだった。

それを「教育」するために、胤栄は自らが模範を示すのではなく、ホンモノの生きたままのサソリを育て、胤瞬の前に放ったのである(「あしたのジョー」の段平もジョーに対して同じようなことをする場面がある)。

学校化された教育が教育であり、「より豊かな教養」のためと思い込んでいる現代人に、教育が生物として生き延びるのに必要な生存戦略として進化的に獲得されたことを示すために、私はこの宝蔵院の物語を紹介する。教育とは本来、命がけの学習戦略なのである。