人気マンガの「遺伝的才能発揮ストーリー」が教える“教育の本質”

行動遺伝学者がマンガを読んだら…
安藤 寿康 プロフィール

この人生観が個人・自己決定・達成といった近代的な価値観の現れであることは心に留めておく必要があろう。家に、共同体に、国家に埋没し、その中でもともと与えられたしかるべきお役目を粛々と果たし、自己実現などという輝かしい価値観とは無縁な生き方をして生涯を全うすることが当たり前だった時代には思いもよらなかった価値観だ。

そして世界の歴史はその方向に進んできており、その結果生まれた専門性の高さを求められる現代社会は、ますます「遺伝的才能発揮ストーリー」を求めている。

その目で見たとき、興味深い作品や場面は枚挙に暇がない。

一卵性双生児として生まれながら、華々しく野球で活躍し成績も優秀な努力家・和也に対して、対照的にいいかげんさを装うできの悪い達也(こんなにちがうことは一卵性の場合ほとんどないが)が、和也の事故死のあと「甲子園に連れて行って」と頼む幼馴染のふたりのヒロイン・浅倉南の夢をかなえるため、隠しもっていた和也と同じ遺伝的素質を開花させていく『タッチ』。

学力競争厳しい中高一貫校で自信を失い、優秀な実兄へのコンプレックスとともに逃げるように酪農高校にやってきた心優しい主人公・八軒勇吾が、動物たちの命と向き合って生きる個性的で魅力的な友人や教師、そして家畜たちとのふれあいの中でたくましく成長するようすを描いた『銀の匙』。

いずれも主人公の素質が、状況の劇的変化によって大きく花開く遺伝と環境の交互作用(筆者の博士論文のテーマでもあった)として興味深い。

大学受験の指南書としても名高い『ドラゴン桜』も、誰でもテクニック次第で東大に合格できるという、行動遺伝学者からすれば荒唐無稽なスローガンを豪語しながら、実際にそれを成し遂げたのはたった一人の、特別な家庭背景をもつ少女だけであったというところにリアリティがある。

マンガではないが、同じテーマの『ビリギャル』も同様な状況を描いており、やはり遺伝と教育環境の交互作用として解釈できる。

『バガボンド』に学ぶ「命がけの学習戦略」

井上雄彦の作品は『スラムダンク』といい『リアル』といい、どれも教育学的、行動遺伝学的に読みどころがたくさんある。

私が好きなのは、吉川英治の『宮本武蔵』を劇画化した未完の名作『バガボンド』の「宝蔵院」の話だ。

この剣術の遺伝的天才は、剣の腕を上げるため、その出自が与えた動物的本能ともいうべき攻撃性と怒りを常に抱きながら、生と死の狭間で名だたる強豪を求め、各地渡り歩いて武者修行しているという特異な人物という設定である。

修行時代の山場とも言うべき宝蔵院の話は、武蔵が槍術の強さで知られる宝蔵院の胤栄との一騎打ちに訪れるところから始まる。実はこの胤栄、すでに80歳を超える高齢で引退しており、若い天才的な槍の名手・胤舜がその2代目の位を継いでいた。

胤舜はその天才がゆえに、これまで「命のやりとり」をするほどの敵と対峙したことがなかった。死の恐怖を知らずして真に強い者とはいえない (恐怖を知らなければ真の英雄ではないとするワーグナーのジークフリートと同じ設定であるところが面白い)。本来その役を果たすのが師・胤栄のはずだが、もはやその任を果たせない。

武蔵の最初の挑戦では胤舜が勝利する。武蔵は生まれて初めて死の恐怖を味わい、深い傷を負って命からがら退散する。

負け知らずだった武蔵は己の未熟さを悟る。その傷だらけの武蔵を救ったのが他ならぬ胤栄だった。武蔵がこれまでに数多くの命のやり取りの修羅場を乗り越えてきたことを見抜いた胤栄は、武蔵の剣の腕をさらに高めようと厳しい修行を課し、再度、胤舜に対峙させる。

以前とは異なるステージに立つ武蔵の力量を察知した天才・胤舜は、この闘いこそ自分が求めていた命のやりとりと奮い立つ。双方、負けたほうが死という文字通り命がけの勝負を、胤栄が見届ける。

このシーンがすごい。胤栄に付き添った弟子僧が「なぜ武蔵に弟子となることを許されたのですか」と尋ねたのに対し、胤栄は「武蔵と出会ったのだ。自分はもうすぐ死ぬ。自分が師から受け継いだはずの肝腎なものを胸に溜めている。それを胤舜に伝えねば、あいつの人生を先に進めてやらねば死ねぬ。すべてを覚悟して武蔵を鍛えた」と答える。

この緊迫感はとても文字で伝えられない。芸術作品ともいうべき井上雄彦の迫力ある筆致が「命のやりとり」という言葉にできない境地をみごとに描く。結果、今度は武蔵が勝利する。胤舜は瀕死の傷を負いながら生き延び、胤栄の「ひとりじゃないぞ」の心に涙する。感動の名場面だ。