戦前日本の「外交機密費」は、いったい何のために使われていたのか

戦争でも平和でもない日中関係
井上 寿一 プロフィール

それにしてもこれらの研究は、いずれも一次史料の不足から隔靴掻痒の感がある。もっとも新しい研究の渡辺延志『軍事機密費』も同様の限界を免れていない。

同書が主に依拠しているのは、東京裁判の際の国際検察局尋問調書である。この尋問は、自身に戦争責任が及ぶかもしれないような極限状況のなかでおこなわれた。国際検察局による旧軍人への尋問が真実を明らかにしているとは限らなかった。旧軍人の証言を別の一次史料とのクロスレファレンスによって、確認する必要がある。ここでも一次史料の不足に直面することになる。

このような一次史料の状況を改善することになったのが2014~15年の小山俊樹監修・編集・解説『近代機密費史料集成Ⅰ 外交機密費編』全6巻+別巻(ゆまに書房)の刊行である。

この史料集は外務省外交史料館所蔵の「満洲事件費関係雑纂」の写真版として、誰でも手にすることができる。この史料集の刊行前まで、外交機密費の実態は秘密のベールに包まれていた。刊行後、外交機密費ははじめて本格的な実証研究の対象となった。この史料集の公刊の社会的な意義は大きい。

それにしても機密費関係の史料は敗戦時に焼却処分されたはずである。事実、1945(昭和20)年8月15日の降伏に先立って、政府は前日の14日に閣議で重要機密文書の焼却を決定している。その日の午後になると陸軍省から機密文書を焼却する煙が立ち上った。降伏の当日になると霞が関の官庁街からも煙が立ち上った。重要機密文書の大半は焼却された。

有田八郎外相宛中根直介張家口領事代理発の電報(1936年10月)。アジア歴史資料センター〈JACAR〉B14090312400

ところが満州事変期の外交機密費の史料が残存していた。この史料集には在中国公館と本省とのあいだの往復電報や機密費の領収書が収録されている。部外秘の外交機密費関係の支出であっても、支出責任者は領収書を受け取り、本省に報告する義務があった。本書はこの史料集の読解をとおして、満州事変期の機密費外交の展開を追跡する。

インテリジェンス・接待・広報

機密費外交はインテリジェンス外交、接待外交、広報外交の三つの機能がある。

第一に満州事変の拡大過程において、相手側の動向を探査するのはインテリジェンス外交だった。諜報費による内報者は、中国人だけでなく朝鮮人、ロシア人などもいた。蔣介石の中国国民政府(南京政府)の内情を知るのもインテリジェンス外交である。インテリジェンス外交の重要性は、上海の公使館内に情報部の設置を促した。

第二に機密費の多くを占めたのは接待費である。対軍部外交の観点からの「官官接待」は、外務省が軍部とのあいだでコミュニケーションを円滑にすることによって、間接的に軍部をコントロールするうえで欠かせなかった。また上海事変やリットン調査団の事例からわかるように、接待外交は自国に有利な解決に誘導する効果が期待された。宴会費は遊興費ではなかった。

第三に1933(昭和8)年5月末の日中停戦協定の成立によって満州事変以来の対外危機が鎮静に向かうと、今度は広報外交の出番だった。現地の新聞や雑誌に対する機密費による経済的な支援をとおして、日本の広報外交は、中国国民に日本の立場をアピールしながら、日中「親善」を演出する。広報外交の背景にあったのは、第一次世界大戦後からの国際的な潮流=外交の民主化だった。他方で広報外交は日本国内向けでもあった。現地の通信社や新聞特派員からの広報情報は日本の国内世論に影響を及ぼす。

本書が追跡するのは、以上のような三つの機能を持つ機密費外交の展開である。