戦前日本の「外交機密費」は、いったい何のために使われていたのか
戦争でも平和でもない日中関係ブラックボックスのなかの機密費
機密費は今も昔も厚いベールに包まれている。今年(2018〈平成30〉年)3月、政府ははじめて内閣官房報償費(官房機密費)の文書を開示した。官房長官の判断で支出される官房機密費は、昨年(2017年)度の予算が約12億3000万円で、内外の情報収集を目的としているとされる。使途の公表や領収書の提出義務はない。
実際のところ今回の文書開示によって、支出の9割は「政策推進費」であることがわかった。しかし支払先が明らかにされることはなかった。領収書がなく支払先も特定されないとなれば、憶測を呼ぶ。官房長官の「闇ガネ」になっているのではないかとの批判や官房機密費の廃止、あるいは領収書を徴収すべきとの意見もある。官房機密費の実態はわからないままである。
昨年(2017年)は自衛隊のPKO日報問題・「森友学園」問題・「加計学園」問題などが政治問題化した。公文書管理に社会の注目が集まった。このような状況を背景に、公文書管理をめぐる改革の議論が進展している。ところが機密費はブラックボックスのなかに入ったままである。
戦前は記録されていた機密費文書
今でもわからないのだから、昔はもっとわからなかっただろう。
この難問の解明に取り組んだ先駆的な事例が松本清張「陸軍機密費問題」(初出は1964〈昭和39〉年)である。田中義一陸軍大将は、300万円を持参金として、立憲政友会の総裁の地位を手に入れる。1927(昭和2)年に首相の座に就く。この300万円の出所が問題だった。陸軍機密費から出ているのではないか。松本清張の探索がはじまる。
結論からさきに述べると、300万円の出所は陸軍機密費ではなく、シベリア出兵(対ロシア革命干渉戦争)費の使い残しだった。松本清張はそう推理している。

探索の途中でわかったことがある。陸軍機密費は陸相が交代するたびに、次官立ち会いの下で現金や公債額を帳簿と引き合わせて引き継ぐことになっていた。これでは田中大将といえども300万円をくすねることはできなかった。陸軍機密費はつかみ金ではなく、部外秘ではあっても記録があったようである。
戦前の機密費の研究は、伊藤博文の内閣機密費による情報戦略や第二次西園寺公望内閣(1911~12年)の機密費史料、大正12~15(1923~26)年の陸軍機密費史料などの事例研究があるに止まる。
これらの研究から断片的にわかるように、整った書式に領収書が貼付されている場合であれ、金額・日付・受領者の名前が備忘録のように記されている場合であれ、機密費の支出は記録されていた。戦前の日本においても機密費の総額は公表されていた。近代国家が備えるべき会計制度は備えていた。会計検査院の検査が不要であっても、当事者は記録を残していた。
戦後になって70年以上を経ても、官房機密費はブラックボックスのなかにある。戦前並みには領収書を取り、支出先も記録し、非現用文書の扱いになれば原則として公表すべきだろう。官房機密費の文書は行政文書なのだから。