大阪万博「2兆円効果」の前に懸念される200億円の「火種のもと」

ひと筋縄ではいかないようで…

試算より3000億円多い経済効果

万博が55年ぶりに大阪に戻って来る。日本時間の先週日曜日(11月25日)未明、パリで開かれた博覧会国際事務局(BIE)の総会で行われた投票で、ロシアのエカテリンブルク、アゼルバイジャンのバクーに大差で勝ち、大阪が2025年の万博開催地の座を射止めたのだ。

2020年の東京オリンピック後の日本経済の起爆剤にする狙いに加えて、「バブル期の負の遺産」夢洲(=ゆめしま)の清算に活用する思惑もあり、関係者はおおいに盛り上がっている。

招致委員会は期間中の半年間に2800万人の入場を見込んでおり、その経済波及効果を、りそな総合研究所は政府の試算よりも3000億円多い2兆2000億円と弾き出した。

目論見通りに大阪万博を成功に導くためには、いったい何が必要だろうか。現状と課題を探ってみよう。

 

55年ぶりの「登録博」

まず基礎的なことをおさらいしよう。万博の正式名称は国際博覧会だ。万国博覧会と呼ばれることもあり、国際博、万国博、万博など様々な略称がある。万博は単なる博覧会ではなく、国際博覧会条約に基づいて、複数の国が参加して開かれる博覧会だけを指す。つまり、「万博」を名乗るには、BIEの承認が必要というわけだ。開催の目的は、人類の進歩や将来のビジョンを示すこととされている。

世界最初の万博は、イギリスで1851年に開かれたロンドン万博だ。25カ国が参加し、イギリスは産業革命の成果を世界に向けて誇示したという。1889年のパリ万博はエッフェル塔が建てられたことで有名である。

日本が最初に参加したのは、大政奉還や王政復古の大号令があった1867年(慶應3年)に開かれたパリ万博だ。徳川幕府と佐賀藩、薩摩藩が出展した。

その後、日本は1890年(明治22年)と1940年(昭和16年)に開催を目指したが実現せず、1970年の大阪万博が最初の万博となった。このときの大阪万博は、5年に一度、6週間以上6カ月以内の長期開催で、大規模に総合的なテーマを扱う登録博覧会だった。

以後、日本では、1975年に沖縄海洋博、1985年につくば博、1990年に大阪園芸博、2005年に愛・地球博(愛知万博)が開催されてきた。これらの万博は登録博に比べて小規模で、登録博の間に1回、3週間以上3カ月以内の中期間で開催される認定博覧会だった。

2025年の大阪万博は、認定博の大阪園芸博から数えて35年ぶり、登録博の前回の大阪万博から55年ぶりの開催となる。

招致委員会がBIEに提出した計画によると、2025年の大阪万博の開催期間は5月3日から11月3日までの185日間。場所は後述する大阪市此花区の夢洲だ。「いのち輝く未来社会のデザイン」をテーマに、160ヵ国・地域・機関の参加を想定している。

入場者数2800万人という見込みについては、世界中に競合するテーマパークが林立していることや、インターネットの普及によってわざわざ博覧会の会場に足を運んでもらうことが難しい環境になっていることなどを理由に、実現が難しいと懸念する声が多いのは事実である。

しかし、1970年の大阪万博は6421万人、2005年の愛知万博も2204万人の入場者を獲得した。その実績や大阪が全国有数のインバウンドのメッカになっている事実を勘案すれば、やり方次第とはいえ、今回の2800万人の動員も決して不可能な数字ではないと筆者はみている。

ちなみに、大阪万博の招致成功の鍵は、大阪市が2008年のオリンピック招致で北京に惨敗した苦い経験だ、との見方がある。というのは、大阪市がこの失敗の反省から、今回は大阪府や国の協力を早くから得る戦略を採り、地元企業にも招致機運の盛り上げを働きかけてきたからだ。