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とにかく、うまかった。名文家だった大女優・高峰秀子との遭遇

人生を味わい尽くそうとする意志
ノンフィクション作家・沢木耕太郎氏はこれまで何人もの作家と出会い、「対象」としても徹底して向き合ってきた。このたび沢木氏の作家論集『作家との遭遇 全作家論』(新潮社)が刊行された。その中から、高峰秀子に関する文章を特別公開!

獅子のごとく

見事なインタヴューの呼吸

十年ほど前のことだった。三軒茶屋の古本屋で一冊の本を見つけて買い求めた。書名は『私のインタヴュー』、著者名は高峰秀子。しかし、私がその本を買う気になったのは、高峰秀子の本だからというのではなかった。

私にとって女優の高峰秀子は同時代のスターではない。彼女が出演している多くの映画を見ているが、そしてそれぞれに強い印象を受けてはいるが、封切られた直後に見たという映画は一本もない。名画座で見たり、テレビで見たり、ビデオで見たりした映画の中の女優でしかない。どこかにおきゃんな娘時代の面影を宿しているかのような高峰秀子は魅力的だったが、だからといって書いた本を読もうというほどのファンではなかった。

当時、インタヴューとは何かということについて原理的に考えたいと思っていた私にとって、重要だったのは『私のインタヴュー』という書名だった。極言すれば、当時の私にとっては、書名にインタヴューとありさえすれば、誰が書いたものでもよかったのだ。

高峰秀子 〔PHOTO〕gettyimages

それは、高峰秀子がさまざまな世界の女性に会い、話を聞くという女性誌の連載記事をまとめたものだった。登場してくるのは、広島の被爆女性、芸者衆、産児調節運動家、灯台守り、美容師、撮影所の裏方、セールスウーマンといった女性たちである。しかし、話されている内容があまりにも古めかしく、また、登場人物の多くが話すことのアマチュアのためか、あまり面白い話が出てこない。奥付を見ると、発行が昭和三十三年となっていた。

しかし、だからといって、この本がつまらなかったかというと、そうではなかった。

最後に近く、木下サーカスに所属する三人の女性団員をインタヴューしている章がある。同じ「芸」の道を幼いころから歩んできたという親近感があったのだろう。終始、和やかに進んでいくが、その中で、高峰秀子がこう訊ねるところが出てくる。

「わたくしはね、いろんな人にきかれるんです、どういうときが一等つらいかってね。しかし、つらいということはあまり憶えてないんですよ。つらかったというより、それがあとになるとたのしい想い出になるでしょう。だからつらいことなんかありませんと言っちゃうんですけれども……」

と、ここまで自分のことを語っておいて、一転してこう訊ねていく。

「……それでこっちがきくのは変ですが、つらいなと思うようなことがあります? それはどんなことです(笑)。」

まず、自分が困惑するような質問を受けたときの体験を語り、しかし、にもかかわらず、自分もそのつまらない質問をあえてしてみたい、と続ける。このインタヴューの呼吸は見事である。自分の特異な経験を絶対化することなく、冷静に捉え直し、それを他者との関係の構築の際に利用する。まさに、インタヴューというものの極意に近いものが発揮されている。それはまた、インタヴュアーとして、というだけでなく、人間としての賢明さが際立つ問いかけ方でもあった。

このときは、団員のひとりから「そうですね。やっぱり気がすすまないときに舞台に出るときなんか……」という平凡な答えしか引き出せなかったが、私は高峰秀子という女優に強い興味を覚えることになった。高峰秀子とはいかなる人物であるのか?

そこで、私は高峰秀子の『わたしの渡世日記』を読んでみた。読んで、驚いた。そこに思いがけないほど豊かな世界が存在していたからだ。