スクープ!異例入国の北朝鮮幹部が極秘接触した「元政治家の証言」

日体大理事長が訪朝し続ける理由
常井 健一 プロフィール

なぜ北朝鮮にこだわるのか

――松浪さんといえば、1970年代にアフガニスタンでレスリングの英才指導を行い、同国との太いパイプを築き上げましたが、今はなぜ「北朝鮮」にこだわるのでしょうか。

国交がないからですよ。国交があったら行かない。「松浪が日体大理事長でいるからできること」をやらなければしょうがない。こういうことは、政府の渡航自粛という政策を論破するために、外務大臣と言論で戦える自信がある人間でなければできません。

 

――政界を引退して日体大理事長になった翌年の2012年、初めて選手団を連れて訪朝する計画をした際、日本政府はどのような反応をしたのでしょうか。

もちろん反対されましたよ。最初はね、渡航許可をもらいに行こうと思った。そうしたら「許可」はくれないことがわかって、「渡航届」にした。スケジュールはこうです、派遣する選手はこれです――という書類を自主的に毎回出す。

私は学校法人理事長として、文部科学省、日本私立学校振興・共済事業団にも事前説明に行かなくちゃならない。外務省ではアジア大洋州局長に叱られに行きます。経由地である中国の北京でも日本大使館から毎回叱られます。今回も叱られました。

――「叱られる」とは、具体的にどういうことを言われるのでしょうか。

「政府が制裁をしている国だから渡航は自粛してほしい」と言われます。でも、ありがたいことに、日体大がペナルティを一度も受けたことはないし、右派が騒ぎ出したこともない。それは、われわれが純然たるスポーツ交流に徹して、政治的な活動と発言を慎んでいるからでしょう。

渡航や滞在にかかる費用には、大学のお金を使わないことにしています。大学には政府の補助金が入っていますから、「政府が行くな」というところに大学の予算を使うと矛盾が生じますから。これは、政治問題化した場合の対応措置ですね。

だから、10月に訪朝した43人の日体大関係者のうち、選手の学生、コーチ、トレーナー、ドクターは、われわれ大学の役員たちが個人として寄付をして面倒を見る。もちろん私を含めた役員の費用は自腹です。

北朝鮮訪問時に金体育相と撮った一枚

――北朝鮮サイドには初め、どうやって訪朝の打診をされたのでしょうか。

初回は、平壌にある朝日親善交流協会に、訪問計画をいきなりファックスしました。朝鮮総連を介さずに。これがなかなか届かなかったんですけど、一度通じたら、2日ほどで「受け入れる」ということになりましたね。しかし、そこで初めて知ったんですよ、朝鮮総連を通じないとビザの取りようがないことを。それが、2012年6月ごろの話で、実際に訪朝できたのは11月の頭でした。

――日本政府としてはどのような建て前で、松浪さんたちの訪朝を「黙認」してきたのでしょうか。

「黙認」じゃないんですよ。「目視」に止めてもらっていると思います。外務省の役人も、われわれの目的を理解してくれている。ある意味の温情、理解が横たわっている。

それに、外交の第一は「メッセージ」です。われわれの訪朝を止めないということは、日本政府から朝鮮に向けての一つのメッセージです。そして、日本からの訪問団を朝鮮の大臣が出てきて温かく歓迎したということは、朝鮮側の日本政府に対するメッセージです。お互いにとって、メッセージ効果があります。それは十分に理解しています。そういうメッセージ効果が見込めなければ、日本の外務省は力づくで止めたでしょう。

――なるほど、金大臣の日体大視察を止めに入るとなれば、それも「メッセージ」ということでしょうか。日体大の取り組みに対し、大学内外からはあまり反発や批判はないのですね。

そうなんです。日本の国民には、国交はない国が相手でもスポーツ交流は認めないといけないという認識がしっかり心の中に沈殿しています。かつて、愛知工業大学学長の後藤鉀二先生(故人)が国交のない時代の中国に卓球選手を連れて行ったりして、「ピンポン外交」というものを盛んにされました。

中国は卓球が世界的に強かったけど、名古屋で行われる世界大会(1971年)に中国は台湾の存在を理由に参加を拒否していた。そこで、後藤先生は国交のあった台湾ではなく、中国に招聘状を送った。右派からは批判されましたが、愛知工業大学はペナルティを受けていませんよ。

結果として、後藤先生の行動が大会を大成功に導き、選手団どうしの交流をきっかけに米中が接近し、日中国交回復の引火点にもなったのは確かです。

われわれもそこまでの役割を演じられているとは思っていないけど、北朝鮮ではサッカー人気が高いということで、日体大はサッカーチームを連れて行って交流しています。