「まずは下働きから」は正しいか
しかし日本サッカーでは、宮本のようなケースはマイノリティと言える。
〈監督は監督として成熟する〉
これは当然のことのように聞こえるかも知れないが、少々事情が違っている。
日本サッカーでは、指導者は「修行」が求められる。つまり、引退した選手はまずコーチから、という考え方が根強い。
相手のチームの分析でビデオを編集し、控え選手たちの心理面をケアし、率先して雑用を行い、トレーニングメソッドをひねり出す。日々、監督に気を遣い、従順に付き従う。そうして長年、順番を待って、ようやく監督のチャンスが巡ってくる。そんな「修行」をしない限り、トップチームでの監督は難しい。
一方で世界サッカーを代表する名将の多くは、監督としてのキャリアを積み上げ、一流に成り上がっている。
ジョゼップ・グアルディオラ(マンチェスター・シティ)、ディエゴ・シメオネ(アトレティコ・マドリー)、エルネスト・バルベルデ(FCバルセロナ)、ウナイ・エメリ(アーセナル)、マウリシオ・ポチェッティーノ(トッテナム)、アントニオ・コンテ(チェルシー)…。
彼らはいずれも選手引退後、まもなく監督に就任。どのカテゴリーであっても、あくまで監督という「現場のリーダー」として結果を残し、その名声を高めている。
どの監督にも共通しているのは、所属したことのあるクラブで監督業をスタートさせている点だろうか。経験豊富な監督のコーチに付くことはあるものの、その期間は限定的。レアル・マドリーで欧州三連覇を成し遂げたジネディーヌ・ジダンも、コーチとしてカルロ・アンチェロッティの下で学んだのは、1年にも満たない。

グアルディオラの場合は、イタリア、メキシコでプレーしながら、監督として広く学び、準備を整えていた。そしてバルサのBチームを率いて結果を叩き出し、そこからスターダムを駆け上がっている。また、バルベルデは古巣のアスレティック・ビルバオでまず15才のチームを指揮。そこから監督としてカテゴリーを上げ、ビルバオ・アスレティック(Bチーム)で成果を上げ、トップチームを率いるようになった。
エメリのケースにいたっては、選手と監督の時期が重なっている。2部B(実質3部)のロルカというチームに選手として所属していたが、膝の状態が悪化。現役続行が不可能になる一方、不振のチームを立て直すべく(理論派として知られて、すでに監督ライセンスも持っていたことから)、シーズン途中ながら監督道を歩み始めた。そして後半戦の巻き返しで、チームを2部に昇格させている。
〈現役選手としての熱が残っているうちに、監督としてチームを率いる〉
世界では最近、それが主流になりつつある。いずれの監督も40代前半で名将の称号を得ている。これは見逃せない事実だ。