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なぜガバナンスは機能しなかった?日産とエンロン「堕ちたカリスマ」

ゴーンがもたらした奇跡と弊害
「カリスマ経営者」カルロス・ゴーン元会長の逮捕劇は日本はもとより、欧米でも多くの衝撃をもって報道された。事件の全容解明には今後多くの時間が必要だろうが、その前に根本的な問題提起をしたい。
日産自動車という巨大企業において、なぜガバナンスが機能せず、今回のような不正行為が起きてしまったのか? 
米国の投資運用会社で働いた経験があり、『マネーの代理人たち』の著書もある小出・フィッシャー・美奈氏が、日米の企業不正の例を引きながら「カリスマ経営」の落とし穴を明らかにする。

日産のガバナンス格付けは「最低」

カリスマ主婦にカリスマ美容師、カリスマ予備校教師にカリスマ鍼灸師ーー。カリスマが大流行りする世の中で、「カリスマ経営者」の代表格だったカルロス・ゴーン日産自動車元会長の逮捕劇は衝撃的だった。

異例だったのが、ゴーン容疑者の逮捕容疑が個人の役員報酬についての「有価証券報告書の虚偽記載」(金融証券取引法違反)だったことだ。2000億円以上の利益を水増ししていた東芝の粉飾決算でも社長が逮捕されることはなかったから、これはいわゆる「別件逮捕」で、捜査の本命は業務上横領罪や特別背任罪ではないかという観測は強い。

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とはいえ、有価証券取引報告書は投資家が適切な投資判断を下せるよう、株式を公開する企業に適切で公正な開示を求めるものだ。多額の報酬に対する世間の批判をかわすために意図的に虚偽記載をしていたとすれば、投資家に対する重大な背信行為である。

日産の有価証券報告書はネットなどで誰でも見ることができる。「役員の報酬など」の項目を見れば、2011年から2015年にかけて、他の取締役らが株価連動インセンティブを受け取っているのに、ゴーン社長の欄だけが「ゼロ」となっているのが不自然に映る。

この株価に連動する報酬の不記載が40億円あったらしいが、これは逮捕容疑の約50億円の不記載とは別だと伝えられた。その他、住宅購入などにも会社経費が流用されていた模様で、ゴーン元会長の報酬隠しは合わせて120億円に上ると報じられる。

それにしても、容疑が「有価証券報告書の虚偽記載」であるのに、逮捕が代表取締役の二人というのが、なんとも腑に落ちない。

日産という大企業の有価証券報告書が、会長とその側近の二人だけで作成できるものでないのは明らかだ。会社の経理や総務部門などを中心に、多くの人々による情報集約作業を経て作成されているはずだ。また、役員の個別報酬は監査対象外とはいえ、監査法人(EY新日本有限責任監査法人)も、監査対象の企業のお金の流れは把握しているはずではないだろうか。

何十億円という巨額な虚偽記載があったとすれば、他にも複数の日産幹部がその事実を知っていた可能性が高く、責任は組織全体に及ぶはずだ。メディアは一斉に「司法取引」と書きたてたが、日産が法人として刑事責任を問われるリスクは残るし、株価下落に歯止めがかからなければ株主訴訟など民事責任も問われよう。

もちろん、司法取引によって日産のコーポレートガバナンスが機能していなかった事実が消えるわけでもない。

様々な株式指数を算出して提供するインデックス開発大手のMSCIは、事件発生前の9月10日に日産のESG(E=環境、S=社会、G=ガバナンス、ESGについては、過去記事を参照されたい)格付けを「B」から最低ランクの「CCC」まで引き下げていた。

直接的な契機は、7月に国内5工場での排ガスデータ改ざんが明るみに出たことだった。しかしより根本的には、ゴーン元会長が日産の43%(日産はルノーの15%を保有して持ち合い)を保有するルノーの会長職を兼務し、さらに取締役会の議長も務めるなど、経営を監督するはずの取締役会の独立性が確保されておらず、利害対立を生む構造が問題視されていた。

 

「カリスマ」の支配とその報酬

「カリスマ」とは、もともと新約聖書で神からの贈り物を意味する宗教的な言葉だ。20世紀の初頭にドイツの社会学者マックス・ウェーバーが、法や伝統による支配と並ぶ第三の支配のあり方を「カリスマ的支配」と呼んで、この言葉を広めた。

カリスマの支配とは、特別なリーダーの魔法のような能力や言葉に、多くの崇拝者達が「自ら進んで」「情緒的に」服従してしまう関係のことだ。

それがブログの有名人であれ、断捨離上手な主婦であれ、塾の熱血教師であれ、神がかったスターに、わぁーっと陶酔してしまう人間の性向は、ウェーバーの時代も今どきのカリスマ現象も、基本的には変わらない。

クライスラーを破綻から救ったリー・アイアコッカからアップル創設者のスティーブ・ジョッブズまで、特に80年代以降の米国から始まった今のグローバル企業文化には、カリスマ経営者を個人崇拝する傾向が強い。