三島由紀夫には、二つの大きな謎がある。市ヶ谷駐屯地でのクーデター未遂に関係する謎。『豊饒の海』の最後の最後の部分に関係する謎。両者は、二つの独立の謎なのか。それとも、両者の間には何らかの関係があるのか。
一方は、死を覚悟した生涯最後の政治的行動。他方は、自身の最高傑作とすべく渾身の力を込めて書いた最後の小説の結末。両者は、同じ昭和45年11月25日という日に根を下ろしている。二つの謎がまったくの無関係であるなどということは考えられない。
一部の三島専門家は、二つの謎はまったく同一の謎であると見なしている(と私の観点からは解釈できる)。二つの謎が同一であるとは、一方の謎への回答が他方の謎への回答にもなっているということである。
三島がどうしてあのような破壊的な結末を書いたのかという理由が分かれば、その理由は、三島が「天皇陛下、万歳」と言いつつ自決したのはなぜか、をも説明する、というわけだ。
言い換えれば、あんな結末を書かなければ――あのような結末を書くような精神状態になければ――、三島は、人生の最期にあんな無謀で愚かしいクーデターを引き起こすことはなかっただろう、ということになる。
しかし、私はこの解釈に反対である。二つの謎の間に密接な関係があることは確かだが、単純に同一視できるわけではない。両者の間にはもっと複雑な関係がある。そのように考える根拠をひとつだけ示しておこう。
昭和44年2月頃――ということは第三巻の前半が書き終わった頃――に記されたと推定されている、第四巻の結末についての構想メモがある。そこには次のようにある。
三島は、最初は、このような終わり方を考えていたのである。清顕の転生者と思われる十八歳の少年が――永遠の青春に輝く天使のような少年が――、死のうとしている本多の前に宛然と現れる。清顕は存在しなかった、という(実際に書かれた)結末とは正反対だ。
このメモからも、第四巻には贋物の転生者が登場するという構想が早くからあったことがわかる。
贋物は、最後に本物を顕現させるための伏線だったのだ。「安永透」が贋物だったということが判明するまでの経緯を長々と記す第四巻の執筆の途上にも、三島は、あのような破壊的な結末を予定してはいなかっただろう、という推測を正当化する根拠のひとつがここにもある。
ともあれ、『豊饒の海』の実際のラストは、この構想にあったようなシーンを拒否していることになる。三島が(おそらく)無意識のうちに書いてしまった実際の最後は、天使のように現れる美少年を排除しているのだ。