三島由紀夫の自決の謎に連なる、もう一つの「不可解な謎」

『豊饒の海』のラストをどう読み解くか
大澤 真幸 プロフィール

三島は無意識下の何かに導かれて書いていた

だが、あのような結末が作者の意図的な構想の中にあらかじめあったのか、それとも書いているうちに作者の筆があの結末へと自然と導かれていったのか、などという違いは読解の上ではどちらでもよいことではないか。そのように考える人もいるだろう。

しかし、どちらを真実として想定するかで、解釈はまったく変わってきてしまう。そのことは、『新約聖書』福音書に記されたイエス・キリストの生涯の物語と類比させてみると理解できるはずだ。

キリストは十字架の上で死に、その日から数えて三日目にあたる日に復活した。キリストはこのような展開になることをあらかじめ知っていたのだろうか。

考えてみれば、キリストは神なのだから、彼は最初から結末を知っていて、そのように予定していた、と想定することも不可能ではない。それどころか、そう想定すべきだ、という主張も(神学的には)成り立ちうる。

 

だがしかし、もしキリストがあらかじめ自分の死と復活を知っていたとすれば、たとえば十字架の上でキリストが「あとで復活することだし、ここは死んでおこう」などと思っていたとすれば、福音書に記された物語は、人類をバカにした茶番になってしまう。

福音書の物語に衝撃的な意味を読み取るためには、キリストが、殺されるかもしれないという予感の中にあってもなお、救われることへの一縷の希望をもっていたと仮定しなくてはならず、それ以上に、キリストは死んだあとに自分が復活することになるなどとまったく知らなかったと仮定しておかなくてはならない。

同じことは『豊饒の海』にも言える。あの結末に有意味な衝撃があるとすれば、それは、結末を作者があらかじめ意図してはいなかった場合だけである。三島は、無意識の論理に導かれていたのだ。だから、第二の謎を解くことは、三島自身も自覚していないこの論理を抽出することを含意している。

では、まさに書いている中で、あのような結末に至ったのだとして、三島は、実際に、何月何日にあの部分を書いたのだろうか。

先にも述べたように、三島の原稿には「十一月二十五日」とある。しかし、研究者の間で一般に信じられていることは、三島は最終章の原稿を夏ころにはすでに書き上げており、最期の日に、その日付だけ書き足した、ということである。夏にドナルド・キーンが、最終章の原稿を三島に見せられているからである。

だが、厳密には、キーンは、その原稿を読んだわけではない。だから、キーンが見た原稿に、ほんとうにあの破壊的な結末が書かれていたかどうかはわからない。少なくとも確実なことは、三島としては、「それ」が書き上がった日を、昭和45年11月25日としたかった、ということである。

私は、三島自身が記した「擱筆日」を素直に受け取ってよいと考える。実際に原稿が書かれた日と、原稿の末尾にある日との間に、何ヶ月もの違いがある、とわざわざ考えなくてはならない強い根拠はない。三島はほんとうに、「あの日」に、『豊饒の海』の結末部分を書いたのではないか。

(次回に続く)