三島由紀夫の最後の作品は、『豊饒の海』である。これは四巻からなる大長篇で、実際、三島が書いた小説の中で最も長い。
彼は、あの日の朝(11月15日)、つまり市ヶ谷駐屯地へと向かう少し前に、連載の最終回に当たる原稿――第四巻『天人五衰』の結末にあたる原稿――が手伝いの者を通して新潮社の担当編集者の手に渡るように手はずを整えた。原稿の末尾には、擱筆日が「十一月二十五日」と記されていた。
この結末は、実に驚くべきものなのだ。担当編集者も驚愕したという。連載の前の回までの中ではまったく予想できないような――したがって『豊饒の海』のそれまでの展開の中からは微塵も予感されていなかったような――、大どんでん返しが、最後の最後にやってくる。
しかも探偵小説における「意外な犯人」の暴露などというものとはまったく違って、きわめて破壊的な効果をもつような終わり方なのだ。この結末を認めてしまえば、全四巻のそこまでの展開のすべてが、遡及的に、まったく無意味だったこととして否定されてしまう。三島の最後の原稿には、そんな結末が書かれていたのである。
どのような趣旨なのかを説明するには、『豊饒の海』がどのような小説なのかを簡単に解説する必要がある。
この小説は、魂の輪廻転生を前提にしている。各巻の主人公はすべて異なっているが、彼らは転生者であり、実は同じ「人物」の反復である。彼らは皆、二十歳で死ぬ運命にあり、次巻で転生する。
この場合、輪廻転生する魂の同一性を保証する者が、二十歳で死んでしまう主人公とは別に必要になる。それが、副主人公の本多(ほんだ)繁邦(しげくに)であり、彼は全巻を通じて登場し、異なる主人公たちが同じ魂の転生であることを確認する。本多は、作品内の三島の分身だと考えてよいだろう。
第一巻の『春の雪』の主人公は、華族の令息、松枝(まつがえ)清顕(きよあき)である。本多は清顕と同じ歳で、二人は同級生。清顕は、幼馴染で二歳年上の綾倉聡子と激しい恋に落ちる。
聡子と宮家との間の結婚に勅許が降りるのだが、にもかかわらず、清顕と聡子は逢瀬を重ね、関係をもつ。その結果、妊娠した聡子は、密かに堕胎した上で、出家して、月修寺という寺に退いてしまう。清顕は月修寺に通いつめるが、聡子は絶対に会おうとしなかった。
第二巻『奔馬』の主人公は、飯沼勲(いさお)という青年である。彼は右翼のテロリストで、金融界の大物を刺殺して、割腹自殺する。三島と楯の会の若者に最も似ているのは、第二巻の主人公の勲である。
第三巻『暁の寺』の主人公は、女性である。シャム(現タイ)の王女ジン・ジャン(月光姫)だ。本多は彼女に恋情を抱くが、彼女がレズビアンであったために、恋は実らない。
こうして「清顕=勲=ジン・ジャン」という、転生を媒介にした等式が成り立つわけだが、第四巻で、この等式が崩れる。
『天人五衰』の主人公は、安永透という青年だ。本多は、この青年を、清顕から始まる転生者の一人だと思い、自分の養子にするのだが、透は二十歳を過ぎても死なず、真の転生者ではなく贋ものだったことが判明する。
こうした筋の後に、結末の驚くような転回が待っている。透が本物ではないことを知って落胆した本多は、自分の死期が近いという思いもあって、松枝清顕のかつての恋人、今や月修寺の門跡となっている聡子を訪ねることにした。