筆者撮影

「先生かどうかわからない人」が教えてくれた他者への想像力の磨き方

いまも忘れられない大学の講義

忘れられない講義

忘れられない大学の講義がある。

2000年の年末に琉球大学で開講された「社会科学総論」という集中講義で、講師は宮内洋(当時は日本学術振興会特別研究員PDで、現群馬県立女子大学教授)さんだった。

確か、大学の掲示板に貼られた事前の講義案内には「皆さんの貴重な年末の時間を無駄にはしません」といったことが書かれていた。クリスマス前後の時期であったため、学生を集めるための誇大広告だろうと思った。

また、「講義内容は受講生の関心によって大幅に変更する」とも書かれていた。講師も年末で忙しいから詳しいシラバス作成は間に合わなかったのだろうと思った。とにかく、あまり期待せずに講義登録をした。

受講生は20名もいなかったと記憶している。講義初日、チャイムが鳴っても教室には講師はあらわれない。

数分たつと教室の一番後ろに座って隣の学生と雑談をしていた30代らしき風貌の男性が立ち上がり、教卓の前に立ち話を始めた。

そして突然、「ところで、なぜ皆さんは僕の話を黙って聞いてるの?」と問いかけてきた。教室は「この人、なに言ってんだろう」という微妙な雰囲気になった。

さらに「講師であることを証明できる?」とたたみかけてきた。最初に感じた微妙な気持ちは消え去り、代わりに強烈な好奇心が沸き上がってきた。

手を動かして作業させるのではない、頭の中で思考がとまらなくなる本物のアクティブ・ラーニングだった。18年前のことである。

 

結局、講義最終日まで前で話している人が講師であることの証明はなされなかった。宮内さんは、目の前の現実がいかに人びとの常識やそれをもとに展開される相互行為から維持されているのかを、さまざまな教材を用いて私たちに問うた1

講義の中で阪神・淡路大震災直後の様子を記録したドキュメンタリー番組を視聴した。一人の女性高齢者が語るシーンだった。番組の構成も学生の読みも、ありきたりなものだった。

しかし宮内さんは、彼女の発する言葉から彼女が経験してきた歴史について、ある解釈を示した。それはその地域、その時代を生きた人間にしかわからない視点であった。その視点を意識した後では、先ほど視聴した映像が異なる映像のように思えた。

少なくない学生が、そのような些細な言動に、物事を幅広くかつ深く読み取るポイントがあることに圧倒された。

このように講義を通じて、前で講義をする人は学生の関心に合わせて、多くのことを学ばせてくれたから、私は彼が万が一講師でなくても(単位が出なくても)いいやと考えるようになっていた。そして私の年末の時間は何ものにも変えられない貴重な時間となっていた。

私は、その後に宮内さんとは共同研究者となり、また非常勤講師として琉球大で働く機会に恵まれた。2000年の琉球大で開講されたエキサイティングな講義、そこで好奇心が沸き上がった経験を、私も学生になんとか提供したく試行錯誤している。

1 琉球大での講義の様子については、以下を参照して欲しい。
宮内洋,2001,「『心理テスト』に見る学生たちのアイデンティティについて――北海道と沖縄県における『20答法』の結果の比較を通して」沖縄県民間教育研究所編『おきなわの子どもと教育』60号,2-8.
宮内洋,2005,『体験と経験のフィールドワーク』北大路書房.
また別の学校ではあるが、以下の論考で描かれている講義の様子についてもぜひ参照して欲しい。
宮内洋,2000,「あなたがセックス・ケアをしない理由――福祉系専門学校における教育〈実践〉のエスノグラフィー」好井裕明・桜井厚編『フィールドワークの経験』せりか書房.