大逆事件の大打撃による「雄弁」失速に追い討ちをかけた衝撃の講演

大衆は神である(29)
魚住 昭 プロフィール

蘆花の「謀叛論」講演

刑事の尾行が執拗につづく最中の明治44(1911)年2月1日、人気作家・徳冨健次郎(蘆花)の講演が第一高等学校で行われることになった。新村らの処刑から1週間後のことだ。

大沢は速記者を連れて一高に行った。『雄弁』にとってはまたとない取材チャンスである。

 

会場の第一大教場(収容人員は1000人近い)は超満員。座席や通路はもちろん、演壇の後ろまで聴衆でびっしり埋まった。遅れてきて会場に入れなかった者は、左右の窓に鈴なりになった。

演壇脇に「演題未定」の貼り紙があった。それを、講演が始まる直前、一高弁論部委員の河上丈太郎(戦後の社会党委員長)がはがし、「謀叛論(むほんろん)」に差し替えると、異様なざわめきが起きた。

壇上に現れた蘆花は80キロを超える巨軀を和服で包み、黒の紋付き羽織をかさねていた。丸刈り頭に黒めがね。両方の頰にのびた濃い髯を震わせながら聴衆に語りかけた。(註①)

〈社会主義が何が恐い? 世界の何処にでもある。然るに狭量にして神経質な政府は、ひどく気にさえ出して、殊に社会主義者が日露戦争に非戦論を唱うると俄(にわか)に圧迫を強くし、足尾騒動から赤旗事件となって、官権と社会主義者は到頭犬猿の間となって了った。諸君、最上の帽子は頭にのっていることを忘るる様な帽子である。(略)我等の政府は重いか軽いか分らぬが、幸徳君等の頭にひどく重く感ぜられて、到頭無政府主義者になって了うた。無政府主義が何が恐い? (略)幸徳君等は時の政府に謀叛人と見做されて殺された。が、謀叛を恐れてはならぬ。謀叛人を恐れてはならぬ。自ら謀叛人となるを恐れてはならぬ。新しいものは常に謀叛である〉

激烈な政府批判である。神崎清の『革命伝説 大逆事件4 十二個の棺桶』に収録された河上丈太郎の証言によれば、「みんなかたくなって、息をつめて聞いていた。会場の空気は、極度に緊張して、拍手をする者もなければ、咳払いをする者もない。しずかな太古の湖水に蘆花の声だけがひびいている、というような感じであった」。

明治のベストセラー作家・徳富盧花

2時間に及ぶ演説が終わると、数秒の静寂の後、万雷の拍手がわいた。河上は「一生涯に二度と聞けない大講演であった。一同は感激して蘆花を送りだしたが、足駄をはいた蘆花があかい夕陽をあびて校門を出ていくうしろ姿が、今でも目に見えるようだ」と語っている。