ただし、高橋さんたちの研究グループは、最初からアンモニアの除去をめざしていたわけではないという。プルシアンブルーを使った研究の最初の目的は、意外にも「調光ガラス」の作成だった。
「いま、ボーイング787では、ボタンを押すと暗くなったり透明になったりする窓が実用化されていますよね。あれが調光ガラスです。私たちは2008年に、プルシアンブルーをナノ粒子化して、調光ガラスの色を変化させるための材料として利用しました。当時はまだ私は参加していなくて、いまの上司である川本が手がけた研究ですが」(高橋さん)
隣にいる川本さんが「昔の話ですが」といって微笑んだ。
それにしても、個性的な青色を生み出す顔料が「色変化材料」になるというのは不思議だ。色が変化したらブルーじゃないじゃん! と思ってしまうが、そこが「物質」としてのプルシアンブルーの面白いところである。
「18世紀初頭に発見されたプルシアンブルーは、鉄と鉄がCN(シアン)をはさんでくっついたものでした。偶然にそれが見つかって、それまで表現できなかった濃いブルーを作り出せるようになったわけです。
でも、この物質は鉄を別の金属に置き換えると、色や性能が変わるんですね。たとえば銅に置き換えると、赤っぽくなる。ニッケルに置き換えると黄色に、コバルトだとピンクに、亜鉛では白っぽくなります」(高橋さん)
そうやって鉄を別の金属に置き換えたものを「プルシアンブルー類似体」と呼び、それだけでほぼすべての色を作れるらしい。だから、調光ガラスの色変化材料にもなるというわけだ。構造さえプルシアンブルー類似体であれば、色はブルーじゃなくてもそう呼ぶのである。
さて、高橋さんらの研究グループが調光ガラスの次に手がけたのは「セシウムイオン吸着材」の研究だった。きっかけは、2011年の東日本大震災で起きた福島の原発事故で、放射性セシウムの除去が課題になったことだ。プルシアンブルーがセシウムイオンを吸着することは、以前から知られていた。しかし、なぜセシウムが選択的に吸着されるのかはわかっていなかった。
プルシアンブルーの分子構造を見ると、あちこちに「空隙サイト」と呼ばれる空洞がある。「サイト」は「場所」ぐらいの意味だと思えばいいだろう。要するに「穴」がたくさんあるわけだ。金属を置き換えて色を変えるときも、この穴に金属イオンが取り込まれることが重要となる。
セシウムもまた、穴に入ることで吸着されるのだが、その仕組みがわからなかった。そこで高橋さんらは構造解析などによって原理を解明し、企業と協力して無機ビーズ、着色綿布、不織布(ふしょくふ)など、多様な形態のセシウム吸着材を開発した。
「セシウム吸着材の研究を進める過程で、プルシアンブルーの結晶構造の中には水を吸着する空隙サイトがたくさんあることがわかったのです。アンモニアのことを考えたのは、それからですね。じつは、水とアンモニアはよく似た性質を持っています。だから、水がくっつくプルシアンブルーにはアンモニアもくっつくのではないかと。
日本は化学肥料の多くを輸入に依存しています。もしアンモニアを吸着して回収し、肥料として再利用することができれば、少しは自給率を高められるのではないかと思いました。もっとも、単なる思いつきで提案した研究で、当初はコスト計算も何もしていなかったので、川本のダメ出しでボコボコにされましたけど(笑)」(高橋さん)
こんどは隣で苦笑する川本さんであった。