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ファーブル昆虫館の館長、30年かけても「ずっと気になる」虫のこと

奥本大三郎さんが選ぶ「人生最高の10冊」

ファーブルに魅せられた

子供の頃の読書の思い出といえば、まずは『少年』や『少年クラブ』、『おもしろブック』など、月刊の少年誌が思い浮かびます。当時は付録競争が激しく、雑誌一冊に5~6冊も別に単行本が挟まれているような状況で、読者としては毎月の発売日が楽しみでした。

僕は長く病気していたこともあり、寝床で画板を使い、山川惣治や樺島勝一の絵をよく模写していました。山川惣治は、『少年王者』や、産経新聞に連載された『少年ケニヤ』で絶大な人気を集めていた絵物語作家です。

『ナショナルジオグラフィック』や『ライフ』などの海外の雑誌の写真を資料にリアルな絵を描く一方、ときに漫画的なタッチも交ったり、映画の『キングコング』が流行ればゴリラを出したりなど、サービス精神もあって、本当にアイデアマン。引き込まれましたね。

 

ファーブル昆虫記』との出会いは、小学校4年生のときのことです。中西悟堂という日本野鳥の会の創始者がやさしく書き直したのを最初に読みました。

科学的な精神と忍耐強い観察に基づいて記述されるフンコロガシやカリバチなどの虫の生態を読んで、「実物は一体どうなんだろう?」と心躍りました。30年かけ『昆虫記』完訳の仕事もしましたが、自分で訳したものを読み直してみてもまだまだ気になるところがある。ずっと読み続けたい本ですね。

ランボー全詩集』も、高校生の頃から今も繰り返し開きます。外国語の詩を訳すのは、本当に難しい。訳したものが、意味は伝えられても、詩にならない。古くは小林秀雄や堀口大學の訳がありますがね。それだけにやりがいがある。

僕も折にふれ、訳しています。若い頃は同じランボーでも『地獄の季節』などの大作に目が行きましたが、今はむしろ小品に興味がある。

フランス的エスプリが凝縮

中学生の頃、天地が引っくり返るような衝撃を受けた本が、家で全集を定期購入していた『中国古典文学全集32 歴代随筆集』です。

所収の「揚州十日記」は、明が滅びて清に交代する時代に、揚州で起きた虐殺を運良く免れた、あるインテリの話です。物陰に隠れた男は近くで命乞いをする人の声を聞きますが、実はそれは自分の弟の声。すぐ後に「ガン!」と音が響き静かになった、といった描写は実にリアルです。平和とはどういうものなのか、中学生なりに考えました。

ただ、凄惨な話ばかりではなく、収録作のなかの「東京夢華録」などは、繁栄した宋の都の音を思い返し、食べ物や飲み物、酒場の様子、年中行事などを記した民俗史料の一面もあります。楽しんで読みました。僕は最終的に東大の仏文科に入りますが、もともとは京大の中国文学科を志望していたくらい、中国文学が大好きです。

大人になってからも、骨董を巡る『乾隆帝の幻玉』や、最近では台湾にゆかりの深い東山彰良さんの『』も面白く読みました。

もう一つ衝撃的だったのが、ドストエフスキーの『罪と罰』。“生産性の低い”婆さんを殺したっていいじゃないかと勝手なことを考える青年が行動を起こす、その描写が非常に濃密です。熱に浮かされたように最後まで読んでしまいます。

描写の厚みというと、ゾラの『居酒屋』にも圧倒されました。フランスの階級格差の激しい時代の、工場労働者など貧民の生活が描かれます。この少し前が『レ・ミゼラブル』の時代ですが、登場人物はさらに貧しい。彼らに比べれば『居酒屋』の環境はまだましな状況といえます。

同じフランスでは、ルナールの『博物誌』も印象深い。岸田國士の訳がとにかく素晴らしい。たとえば「蛇」の短文は「長すぎる」のみ。「蝶」は「二つ折りの恋文が、花の番地を捜している」。それこそ、フランス的エスプリが凝縮された短文集というか、ほとんど句集です。

ルナールは俳句の影響を受けている一方、三好達治など日本の詩人や作家もルナールを読み込み、その関係も興味深い。

永井荷風の『断腸亭日乗』は何回読んでも飽きない日記です。独身のエゴイスト荷風の身にだんだん老いが迫ってきます。その姿は今の僕自身にも通じるわけで、若い時に読んだのとはまた違った味わいがあります。

とりとめもなく10冊を挙げてきましたが、僕の読書は読みたいものをただ読んできただけです。

いつも、読むものがなくなるのではないか、という恐怖感があり、電車移動や旅行に本を持って行くのは、いわば「護身用」だといえるでしょう。その本を読み尽くしたら、車内で虫のことを空想します。(取材・文/佐藤太志)

▼最近読んだ一冊

3年をかけ、1000種以上もの幼虫を探し、羽化した成虫も撮影して収録。「非常によくできた図鑑で著者や編集者の苦労に頭が下がります。子供たちへの教育や、飼育する際の餌の植物を知るのにも役立っています」