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⇒前編【帝国ホテルの総料理長も愛飲するシングルモルトとは】からつづく
(構成:島地勝彦、撮影:立木義浩)
シマジ: 田中さん、タリスカースパイシーハイボールのお代わりを召し上がりながら、もう少し敬愛するムッシュ村上の思い出話を聞かせてください。
田中: わかりました。この後、フランス料理アカデミーの会合があるのでほどほどにしないといけないのですが、このタリスカースパイシーハイボールは飲みやすいから、いつの間にか減ってしまって(笑)。
立木: シマジは天下のジジイキラーだけどさ、先程から聞いていると田中さんもかなりのジジイキラーじゃない。
田中: まあ、シマジさんほどではありませんが、お陰さまで、ムッシュ村上シェフには、本当に可愛がられましたし、シマジさん流に言えば“えこひいき”もされました。
ヒノ: ムッシュは田中さんより30歳も年上だったんですよね。
ボブ: まるで仲のいい父と息子みたいな関係だったんでしょうね。
シマジ: 同僚からはヤキモチを焼かれたでしょう。
田中: はい。男のヤキモチは女のヤキモチより大変でした。でもシマジさんがエッセイで書かれてい「嫉妬するより、嫉妬される人間になれ」という言葉はよくわかります。
シマジ: 嫉妬とか悋気なんていうのは、どうしたって治らない、生まれ持っての性質だと思いますね。あっ、そうだ。田中さんが帝国ホテルに入ったころ、まだ陸軍と海軍から帰還してきたシェフがいて、お互い仲が悪かったというお話をしてください。
田中: ムッシュは陸軍の兵隊として中国戦線に行っていますが、ムッシュより2つくらい先輩の鈴木シェフという方がいたんです。ふだん2人はとても仲がいいのですが、いざ戦争の話になると喧嘩がはじまるんですよ。「陸軍がしっかりしていなかったから、負けたんだ」「いやいや、海軍がだらしなかったから、負けたんだ」って。もう戦後20年以上経っているのにですよ。
ボブ: その当時、ムッシュと鈴木シェフのポジションはどういう関係だったんですか?
田中: ムッシュは料理長で、鈴木さんは宴会部門の親方でした。でも鈴木先輩には海軍時代の面白い体験談を聞きました。
立木: うーん、それは面白そうだね。どんな話なの。
田中: 鈴木さんが海軍で将校用の料理を作っていたとき、天長節の日に、「テルミドール風」という伊勢エビのグラタンをわざわざ作ったんですね。そうしたら、まだ30歳くらいの将校に呼びつけられて、こう言われたそうです。
「きみ、メニューに『伊勢エビのテルミドール風』と書いてあるけど、この料理は天長節には相応しくない。テルミドールというのはフランス革命暦の『熱月』のことで、当時起こったクーデターを扱った、コメディ・フランセーズというシアターに出される劇名でもあるんだ。人を斬ったり撃ったりする場面がいっぱい出てくる残忍な劇なんだよ」
シマジ: やっぱり日本の陸軍と海軍では、教養の差がかなりあったんでしょうね。
田中: そうみたいです。日本海軍の将校たちのなかにはフランス、ドイツ、イギリス、アメリカに留学していたインテリが大勢いたそうですね。
立木: いい話だね。これが写真に映らないのが残念だ。
田中: ぼくもその後フランス語の辞書で「テルミドール」を調べてみたんですが、本当にそう書いてありました。勉強になりましたよ。
シマジ: ムッシュの戦地カレー事件も面白いですよね。
田中: はい。ムッシュの最高の逸話は、なんといってもカレー事件でしょうね。話してもいいですか。
ボブ: どうぞ、どうぞ。ぜひ聞かせてください。
田中: 中国戦線をドンドン進軍して行くなか、ムッシュは料理人ですから、たまには兵隊仲間に美味いものを食わせてやろうと思い、ある日、鶏を5~6羽調達してきて、大きな釜で、腕によりをかけて、とびきりのカレーを作ったそうです。そうしたら、上官に軍刀を抜いて叱責されたというんです。
ボブ: それって、もしかして、カレーの匂いが風に乗って敵陣まで流れて行く恐れがあるからではないですか?
シマジ: ボブ、さすがだね。アメリカが戦勝国になった理由がいまわかったよ。
田中: そう通りです。それで、「キサマ、なにを考えて戦争しとるんだ!」と、死ぬほどぶん殴られたそうですよ。
シマジ: 終戦後、ムッシュがシベリアから引き上げてきたとき、痩せすぎていて、村上信夫本人となかなか認知してもらえなかっったという話はホントですか。
田中: そうだったらしいですよ。戦後、復員してきて、帝国ホテルに現われたムッシュはあまりにもげっそり痩せすぎていて、「村上であります。ただいま戻ってまいりました!」と言っても誰にもわららなかったと、ムッシュ本人も言っていました。
後日、包丁を持って、トントントントンと、リズムをつけて切り出したら、「おう、お前、村上か? よく生きて帰ってきたなあ」と、はじめて気づいてもらえたそうです。むかしの料理人は包丁で自分のリズムをつけて切っていたんです。
ボブ: なるほど。感動的なお話ですね。そこはドラマになるシーンですよ。