広島カープ初代監督・石本秀一が作り上げた「市民球団の強さ」

カープ草創期は苦労続きでして…
西本 恵

初代監督・石本秀一が目指した市民球団

本書『日本野球をつくった男──石本秀一伝』では、カープの近年の話題には直接的には触れてはいない。むしろ、現在の黄金期に至るまでの、歴史的な背景に迫っている。

なぜ、いまカープなのか、連日超満員のマツダスタジアムだが、なぜ、ファンが我先にスタジアムに足を運ぶようになったのか──。

取材開始と時を同じくして、カープ初代監督の石本秀一の生きざまがクローズアップされ、ドラマや劇場映画も生まれた。石本が目指した市民球団とは、また、その定義とはどんなものなのか。

近年、地元密着の市民球団を標榜する球団も他に出てきているが、親会社がチーム名に冠されていることから、広告塔であることには何ら変わりがない。だが、頼れる親会社を持たないカープは、現在も入場料とグッズ売上、放映権料などにより球団単体で経営を続けている。

その原点とはやはりカープ創設期にあって、石本の行動力で球団存続の危機を乗り越えたことが、現在にまでつながっている。

石本のかけぬけた明治30年から85年間の生涯を追うと、たとえば、西鉄のピッチングコーチ時代には、かの鉄腕・稲尾和久投手の発掘にかかわっていたことが判明した。石本らしく、強引に入団させようとしている。

戦前の職業野球の時代には大阪タイガースの監督に就任して、二連覇に導いている。宿敵、巨人のエース・沢村栄治をどう打つか、石本らしい奇略を尽くしたこともわかった。また、古葉竹識や上田利治など、後に名将といわれることになる教え子からは、石本の独自の野球理論を聞くこともできた。

カープは、昭和25年に8球団でスタートしたセ・リーグに参入したが、26年には7球団に減ったこともあって、球団数を偶数にするべく、大洋との合併話が進む。早くも、球団存続の危機である。

ここで球団運営の資金を確保するために石本がとっさに発表した後援会構想が、カープを救ったことは有名だが、その詳細も今回明らかにすることができた。

足かけ10年、のべ236人を取材して教えを乞うた。単に広島カープ初代監督という枠にはおさまらず、言わば日本野球の歴史を身をもって生きぬいた希有な人物を幅広い視点から捉え、日本野球の歴史を逆照射するようなドキュメントが完成した。ぜひ、ご一読願いたい。