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戦力外通告から4年、DeNAに再入団を果たした投手の苦闘の日々

「2011年のナイン」第6回

「2011年のナイン」――横浜ベイスターズが、この年まで4季連続で最下位となって史上最弱と揶揄され、身売り、本拠地移転、球団解散などが噂されたあの秋、どん底のチーム状態の中でドラフト指名された選手たちの7年間の苦闘と再生の物語である。

第2章は、あのドラフトで無名の県立高校から入団し、一度も一軍のマウンドに立つことなくクビになり、地域リーグを経て、再入団を果たした投手の苦節の7年間を描く。

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第2章 帰ってきた男・古村徹①

「こんなによくなっているなんて思わなかった」

2018年9月29日、横須賀。横浜DeNAベイスターズ室内練習場。

独立BCリーグ・富山サンダーバーズの古村徹は、3年ぶりに戻ってきた思い出の地で、入団テストのマウンドに挑んでいた。

傍らにはDeNAベイスターズの高田繁GMをはじめとした編成部の懐かしい面々が揃う。シート打撃形式で行われたテストでは、ストレートの球速が148キロを示していた。あの頃とは違うスライダー、カットボールが投げ込まれるたびに、周囲から感嘆の声があがる。

「前にいた時とは別のピッチャーじゃないか」
「こんなによくなっているなんて思わなかった」

11月26日、異例の再入団会見に臨んだ古村投手(photo by 産経ビジュアル)

ベイスターズにいた3年間は最速でも138キロ。制球にも不安があり、なにより膝と肩の故障でまともに投球練習すらできず、公式戦の登板記録が残っているのはイースタンリーグの1試合のみ。

「久しぶりやな。大きくなったなぁ」

テスト前に高田GMから声を掛けられた。裏方時代にもほとんど話をした記憶がない。おそらく声を聞いたのは、戦力外通告を受けたあの日以来ではないだろうか。

「現役を望むこともいいが、今の古村では選手としてどこの球団にも評価されないだろう」

この4年間。古村はその言葉を胸の奥にずっと宿していた。

“絶対に自分はできる”

言い返したくても言えなかった、その思いを証明するために。

スタートからひたすらケガとの戦い

「ドラフト8位、地元枠で入りました古村徹です。よろしくお願いします」

2012年1月。入寮から数日後に行われた新人歓迎の食事会で、18歳の古村は寮生やスタッフを前に“チョケた”挨拶をした。その瞬間、和やかだった会場の空気が一瞬にして凍りつく。

 

高校球界ではまったく無名の神奈川県立茅ヶ崎西浜高校からはじめてプロ入りした選手。図らずも地元出身選手を積極的に獲得しようとするベイスターズの戦略を揶揄したような物言いに、古村を担当した稲嶺茂夫スカウトから「俺たちは、おまえをそんなつもりで獲っていない」と真剣に諭されてしまう始末だった。

それでも言葉の半分は本気だった。

自分だって本当なら実力のみでドラフトを勝ち取ったと言いたい。だが周囲からは、「おまえは県立高校の出身だから、強豪校出身の選手とはやってきた練習が違う。伸びしろはあるんだから、まずはそこを埋めてからがスタートだ」と決まったように言われてきた。

その度に、古村は心の中で強く反発していた。

「身体がまともなら、誰にも負けはしない」

新人合同自主トレの初日。恒例となっている山登りで、古村はリタイアしていた。前日、茅ヶ崎の海を走っていた際に、高校時代に痛めていたランナーズニー(腸脛靱帯炎)による膝痛が再発していたのだ。

それ以上に深刻だったのは左肩だった。高校3年、最後の夏の大会直前に痛み出していた。だが、チーム関係者の誰にも言わず痛み止めの注射を打ちながら投げ続けた。

登板後は、就寝中に寝返りで肩が当たる度に飛び起きてしまうほど痛みが酷くなっていたが、3回戦では神奈川県大会史上初となる逆転サヨナラ満塁本塁打を放ち、4回戦までは気力で投げ抜いた。その後も大学進学は考えず、故障を隠し通してプロからの指名を待った。

入団後、早々に古村は別メニューでの練習となる。4月になって膝の痛みが癒えると、ランニングをしても誰にも負けることはなかった。「投球フォームがきれいだね」と誰からも言われた。自慢のスライダーは、髙城俊人が捕球し損ない、激賞をもらったことで励みになった。

それでも、左肩の痛みはまったく治まらない。軽いキャッチボールと体力強化だけで時間が過ぎていき、焦る気持ちを抱えてウェイト室に行くと、用具係なのにボディビルダーのような身体をした入来祐作(元巨人他)がいつもいた。

「自分の身体は自分にしかわからない。どのトレーニングに対しても自分の肩が絶対に良くなる。そういう想いで取り組めば必ず良くなるから」

現役時代、右肩の血行障害など数多くの故障を経験していた入来からの言葉は、塞ぎ込みそうになる日々の救いだった。

その間にも同期の選手たちは、どんどん先へと進んでいた。髙城俊人は、7月18日にルーキーではじめて一軍でのスタメン出場を果たし、一躍、正捕手候補に名乗りを上げていた。桑原将志は、5月にファームの月間MVPを獲得し、フレッシュオールスターにも出場。10月には伊藤拓郎と共に一軍初昇格を果たした。高卒1年目とはいえチャンスは転がっている。それなのに自分はブルペンに入ることすらままならない。

一軍に上がり活躍した同期の活躍は素直に嬉しかった。それでも「おめでとう」という言葉を贈るたび、「俺だって」という言葉を噛み殺していた。

11月1日。同じくケガでほとんど投げられなかった佐村トラヴィスと共に球団に呼び出された古村に、育成契約が言い渡される。64だった背番号は113になっていた。