「誕生日プレゼントは何がいい?」と子に聞く親に抜け落ちているもの

世代間連鎖を防ぐ子育て論〈14〉
信田 さよ子 プロフィール

(4)はちょっと複雑です。自分の選択したものが「子どもの欲しがっていたもの」と一致しないことは、親にしてみれば失敗なのです。長年の受験勉強で、正解・不正解という二択でものを考える習慣が強い親ほど、このような失敗を恐れがちです。

もし自分が選択を「間違えてしまったら」どうなのかを想像し、とうていそれは耐えられない、自分が傷ついてしまうだろうと考えて、子どもに選択をさせるのです。

(5)子どもの年齢が上がるとこのような判断をする親が増えます。せっかくもらったプレゼントに子どもが文句をつけるなんて、個人的にはどうなのかと思いますが、思春期以降には起きかねないことです。

親が子どもから責められることや親子で責任をなすりつけ合うことが増えてきます。最初から何が欲しいかを聞いて買えば、子どもから文句を言われることはなくなります。万が一それが気に入らなくても、「だってあなたが選んだんだから、文句は言えないでしょ」と返せるからです。

このように考えてみると、「あなたが欲しいものをあげます」という一見子どもの意志を尊重しているかに見える提案は、「あなたが選んだんだから文句は言えないよ」という自己責任をセットにしているのです。

裏返せば、子どもに責任を負わせることで、親は「選ぶ」という責任を回避することができるのです。これは見過ごされがちなからくりではないでしょうか。

 

「選ばせる」ことで子どもが失うもの

「誕生日には何が欲しい?」と聞くこと、子どもの希望通りのものをプレゼントすることを禁じることはできませんし、そんな権利は私にはありません。

しかし、ここまで述べてきたように、プレゼントというものは、自分では選べないこと、包みを開けるまでの不確実性、予測不能性こそが命なのです。まかせて選んでもらうというその受動性こそが、誕生日プレゼントには欠かせないと思うのです。

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子どもにものを選ばせることは主体性の尊重でも自由の尊重でもないことはおわかりいただけたでしょうか。

意地悪く見れば、「子どものお小遣いでは買えないものを年に一回親の経済力で買ってやること」が誕生日プレゼントになっている気がします。

そこにはワクワクドキドキも、ときめきも驚きもありません。子どもにとってみれば、普段買ってもらえないものが特別に買ってもらえるだけであれば、お年玉と何が違うのでしょう。

つきつめれば、お金をもらうのと同じではないでしょうか。もちろん、現金を贈ることを推奨するものではありませんが、誕生祝を金銭で表現するというストレートさに通じるものを感じます。

最近は、子どもひとりに対して両親、双方の祖父母で「6つの財布(6ポケット)」があると言われます。

親からも「何が欲しい?」と尋ねられ、祖父母からも同じようにされるとしたらどうなるのでしょう。

ものが満ち溢れており、子どもの欲望を喚起する機会は過剰になっています。祖父母も孫の希望を聞きたがる場合、両親は、自分たちからのプレゼントと祖父母のそれとをどのように調整するかを考える必要もあるでしょう。

中には、祖父母には値段の張るものを事前に打ち合わせてお願いしている人たちもいるようです。

ただ、孫の健やかな成長にとって、欲しいものを買って与えるだけの誕生日プレゼントが果たしてどんな影響を与えるでしょうか。祖父母たちは、いちど立ち止まって考える必要があると思います。