「俺、あの部長に一生ついて行こうと思うんです!」
行きつけの居酒屋の奥座敷で、新人と思われる会社員の男性が熱く語っていた。
若いっていいなぁ。「あの人について行く!」などと言って熱くなれるなんて……。私など、誰かについて行くなどというリスキーな選択は絶対にできません!
さて、今回は立派な(?)教授に巡り会い、「一生ついて行く」ことを決めたある研修医の物語を御紹介したい。
大学病院には、手や足の病気を専門に治療する医者がいる。整形外科や形成外科の一分野で、現在では「手外科(てげか)」「足外科(あしげか)」という。少々変わった名前だ。読者の皆様にはなじみが薄いかもしれない。文字通りこれらの外科医は手や足の病気・ケガを専門的に治療する。
どちらの分野も、外傷・先天異常・慢性疾患など様々なケースがある。
足外科が最近注目される理由の一つとして、生活習慣病との関連が挙げられる。特に糖尿病では足病変が起こりやすい。都市部では「足専門クリニック」というものも散見されるようになった。
手は鋭敏な知覚と繊細な運動をする器官である。体の中で最も敏感な知覚を有するのは舌と手指である。また手指の動きは他の体の部位では代用できないほど細かい動きをする。よって上記のような専門医が必要なのである。
手の中には、細かい動静脈や神経が走行しており、安定した手術操作が求められる。よって手の手術は椅子に座って行い、術者は拡大鏡や顕微鏡を用いる。
読者の皆様、誤って包丁で指を切ってしまい、血がたくさん出てびっくりしたことはないでしょうか?
同様に手術で手足にメスを加えると出血が多く、術野が血液で覆われて見えにくくなり、手術操作が大変やりにくい。このため、手足の手術の際には止血帯=タニケット(正確にはターニケット)を用いる。これは圧力計に接続した血圧計のようなベルトである。
これで上腕や大腿部を強力に締め、動静脈の血流を遮断する。出血のない術野を無血野という。無血野にすると組織が明瞭に観察できる。細い動脈だって、神経だって見える。拡大鏡を使えば1本の神経がさらに細い神経線維からできていることもわかる。
さて、かつて、ある外科系の診療科に手を専門とする教授がいた。
古典の「徒然草」に毎日芋ばかりを食べる僧侶が出てくるが、この教授は毎日手指の手術ばかりをしていた。その教授による手の手術の開始手順はほぼワンパターンで決まっており、次の通りである。
患者さんがベッドに寝て、消毒の済んだ患者さんの上肢が手術台の上にまっすぐ横たえられているとする。手術用のガウンに着替えた教授は椅子に腰掛けると、患者さんの手を持ち、おもむろに肘を90度曲げて手を挙上する。こうすると患者さんの手は椅子に座った教授の顔の前に位置する。次に教授は助手にこう声をかける。
「手術の準備はいいかな? じゃ、手を握って」
教授と助手は手術する患者さんの手を両手でぎゅっと握る。端から見ると、祈りを捧げるような格好だ。
この教授はこのとき、一瞬目を閉じる習慣があった。助手の話によると、教授はぼそっと独り言をつぶやくこともあったという。
「昨日のオペは疲れたね」
「眠い……」
「この間は学会先で飲み過ぎたよ」
などなど。
読者の皆様、自分の手をぎゅっと握ってグーの形にしてみてほしい。そして、手を開くと、手の平や指は赤と白のまだらになっているのがわかると思う。
これはぎゅっと握ることで血液が手の外へ追い出されたからなのだ。この操作を「駆血する」という。正式に駆血操作をするには、駆血帯という帯状のゴムを指先から腕に向かって巻いていく。だが、上記のようなやり方でも駆血操作を代用できる。
術者と助手が患者さんの手をぎゅっと握って駆血した後、間接介助(外回り)の看護師さんに教授が声をかける。
「タニケット・オン!」
タニケットとは前述した止血帯である。スイッチが入るとタニケットは血圧計のようにむくむくと膨らみ、患者さんの上腕をギュッと締め付けて上肢の血行は遮断される。
こうして、手から血を追い出した状態を作ってから、手術が始まるのである。